4.ぱうんちゃんそらをとぶ

「う、うそっ!」
「すげー、マジかよ…」
「わー、すっごーいミスト! パウン飛んでるよー!」
「……嘘………成功した……」
 手を離しつつ、なんか言ってはいけないことを口走るミストフェリーズだった。
「…パウン、目を開けて良いよ」
「にゃ〜?」

 パウンシヴァルはそ〜っと目を開く。いつも見上げているはずのお兄ちゃん達が、なんだかずいぶん下の方に見える。
「にゃ? にゃんでみんなしたにいるの〜?」
「いや、俺達が下がったんじゃなくって」
「パウンが浮いてるんだよ〜。すごいよ〜」
「ぱ、パウン・・・・」
 タガー達が口々に言う。自分が言いだしたとは言えかなりびっくりしたらしいタガー、もうぼーぜんとするしかないらしいタンブル、パウンと同レベルで喜んでいるスキンブル。
「あああああ。まさかほんとに飛ぶなんて…もし落っこちて怪我でもしたら……こんなのマンカスにばれたら口聞いてもらえなくなるよぅ…どーすんだよミストー」
 タンブルブルータスの心配は微妙に方向がずれていた。
「……それは…まあとにかく内緒にしてればばれないから」
 ミストもいいかげんなものである。まあやってしまったものはしかたがない。とりあえずぽかんとしているパウンシヴァルに言う。
「あのねパウン。今ね、パウンに僕の力を貸したんだ。パウンが空を飛びたいっていう気持ちが、力になってるんだよ」
「えっとえっと…ぱうんとんでるの?!」
「そうだよ。パウンが高く飛ぼうと思ったら上に行けるし、降りようと思ったら降りてこれるけど、あんまり高くに昇ったら僕の力が届かなくなるかもしれないから、気をつけるんだよ」
「にゃ……たかくのぼれるの…」
「うん。…そう、鳥みたいに羽ばたくところを想像してごらん。分かる?」
「うん! ぱうんわかるの! わーいわーい、とんでるとんでるー!!」
 パウンシヴァルは大喜びして辺りをくるくる飛び回った。さすがに子どもは適応力が優れている。あっという間にコントロール法をおぼえたらしい。…そういう問題ではないかもしれないが。
「ぱたぱたしたらうえにいけるんだよね?」
「うん。…でも、ほんとに気をつけてね」
「待てパウン〜!! 無茶するな! ほら、飛べたんだからもう良いだろ。降りてきなさい!」
 タンブルの理性の声は、…もはや言うまでもないだろう。
「やだ! おそらとぶもん!!」
「パウン!! 我が儘言わないの!」
「やだやだ! とぶの〜! もっとたかくまでとぶの!」
「だめだ! 降りてきなさい! 危ないんだから!」
「いやーっ! ぱうんとぶのーっ!」
 まあ、なにを言ったって、今のパウンシヴァルは飛んで逃げられるのだから無駄である。と言うより、余計なことを言えばかえって上へ行きたがるに決まっているではないか。修行が足りんなタンブル。
「ぱうんとぶもん。おそらとぶもん!」
 パウンシヴァルは力強く言うと、さらに高く飛び上がった。
 …鳥なら羽が生えているから羽ばたく様子を見れば空中に浮遊していても不思議ではない。しかし、猫にはそれがないので、なんだか上から吊されているようでちょっと妙である。しかし、本猫はとても嬉しそうだった。
「わーい。すごーい、とんでるー。ゆめみたいなのー」
 このあたり、さすがは子どもだけあってボキャブラリーが貧困である。まあ、喜びの表現などはどうでも良いのだが。
「ミスト〜…どーすんだよー。パウンがー」
「うーん…僕もまさか上手く行くとは思わなかったし」
「ンなてきとーな! 上手く行くと思わないんなら最初からするなよ!」
「だって、あの期待に輝く目に抵抗できる? て言うか出来なかったからここまで連れてきたんでしょ」
「う…」
「ははは。でも喜んでんじゃんかパウン。俺に感謝しろよ」
「するか! そもそも、タガーがミストなら出来るかもなんて言い出すからー」
「パウンすごいねー。僕も飛んでみたくなっちゃったよー」
「やんないからねスキンブル」
「うーん。まぁ空の上には列車走ってないもんね。列車に乗れないところには行きたくないかなー」
 スキンブルの言うこともなんかずれている。三度の飯より列車が好きという猫は群の中でも珍しく(まあ当たり前か)、理解がなかなか得られないのだが、しかしまあ、立派なポリシーなのは確かだろう。ただしこの場合、何の役にも立ちません。
「パウン、面白い?」
「おもしろいよー。すごーい、いろんなものがみえるよー」
「でもパウン、ほんとに気をつけるんだよ? あんまり高く飛びすぎたら落っこちちゃうかも知れないんだからね」
「頼むから降りてきてくれよー」
「すごいの、いろんなものがいっぱいみえるの。たかいところにあがったらこんなふうにみえるんだー」
 パウンシヴァルは兄のココロの叫びを無視した。弟なんてこんなもんかも。
「もっとたかくのぼったらもっといっぱいみえるよねー」
「やーめーろー」
 パウンシヴァルはふわふわ浮かんでさらに高く昇っていく。既に周囲にある建物(ほとんどが二階建ての家だが)よりも高い。天使みたいで可愛くなくもない。妙だが。
「すごーい、おにーたんたちちっちゃいよぅ」
「ぱ、パウン…気をつけてね?」
 さすがにミストフェリーズも心配になってきたようだった。やっぱり止めといた方がよかったかなーとかいう想いが、今さらながらに顔に出る。
「パウンー。降りてこーい」
「やー。おもしろいもーん」
 パウンシヴァル、子どものわがまま大爆発。
「パウン、降りてこいって言われたらすぐ降りて来るって約束しただろ?!」
 タンブルブルータスの声はちょっと悲壮になってきた。
「うー。もっととびたいー」
「だめ! もう降りてくるの! 危ないって言ってるだろ? これ以上わがまま言ったら、お兄ちゃん怒るよ」
「みゅう…」
 タンブルの言葉にパウンはちょっとむくれた。まあ、タンブルの方も「マンカスとか大人のひとたちに見つかる前に降りてきてくれ」というかなり本質を離れた思惑があるのだが、子どもには分からない。それを悟らせないのが兄としての弟に対するけじめである。
「……もっととびたいよぅ」
「もう充分飛んだだろ。今降りてきたらお兄ちゃんがジャンプいっぱい教えて上げるから」
「ほんと?! おにーたんのじゃんぷ?」
「そうだよ。猫は空は飛ばないけどジャンプはいくらやっても良いんだから」
「にゃあ。わかった! ぱうんおりるのー」
 ふわふわ。パウンシヴァルはけっこうあっさり説得された。
「タンブルこの頃マンカスに似てきたねーっ。何かパウンに対する操縦の仕方上手になってるし」
 スキンブルがにこにこ言った。
「マンカスの子ども操縦術、尊敬してるもん。でも、僕はパウンひとりで手一杯なのに、マンカスは群れ中の子ども相手にしてるんだからすごいよね」
 自分が同じ立場に立って、先達の偉大さを初めて認識するというのはよくあることである。偉大なリーダーマンカストラップは、はっきり言って自分も子どもと言っていい年齢の頃から面倒見の良さは誰にも負けず、年下の子どもたちにお兄ちゃんと慕われまくっていたのだ。
「あーでもよかった、パウンが降りてきてくれて」
「スキンブル、マンカス来てない? 一眠りしてから行くって言ってたからまだ大丈夫だと思うんだけど」
「うん、まだ匂いしないけど」
「お前らとは違う意味で来て欲しくないけどな俺は」
「ああ…こんなにマンカスがいなくて良かったって思ったことないよー」
 勝手なものである。
 
 
5.ぱうんちゃんおちる

「………あれ?」
 突然、未練がましくゆっくりゆーっくり降りてきていたパウンシヴァルの動きが止まった。
「どしたの? パウン」
「降りてこいよー」
「にゃ……あのね、にゃんかひっかかっちゃったの…」
「え?」
「あ。電線かぁ?」
「電線ってなにタガー」
「よく知らねぇけど人間の家につながってるひもみたいな……あ、やっぱりそうだ」
 パウンシヴァルは電線に引っかかってしまったらしい。あちこちよそ見したりふらふら寄り道しながら降りているからであろう。
「おりられないよー。なんでー? おにーたんたしゅけてー」
 既にちょっと泣き声が入っている。
「大丈夫だからパウン、落ち着いて引っかかってるひもを外せばいいんだよ…僕達じゃそこまで助けに行けないから」
「みぃい。えーん、からまってくるよう。たしゅけてよぅ」
「あー…ガキってしょーもねぇことしやがるな…」
 タガーが薄情なことを言う。
「ど、どうしよう?」
 木の上に登って降りられなくなったというならまだしも─それなら3日に一度は誰かがやっている─この状況でマンカス辺りに助けを求めるとなれば…一体どのような説明をすれば納得してもらえるものか、見当もつかない。
(助けなかったらマンカスにバレる→絶対怒られる→何としても助けねば)
 パウン以外の全員の思いは一致していた。言うまでもなく、本来あるべき姿とは微妙にずれている。結論としては同じなのだが。
「えっと…とにかく僕、助けに行ってみる。僕なら飛べると思うし」
「ミスト、大丈夫か?」
「うん、たぶん…」
「お前、パウン飛ばせられるくせに自分は飛べねぇの?」
「あれはパウンの飛びたいって気持ちを力にしてるんだもん。僕が自分で飛ぶのとは違うんだよ」
「…よーわからん」
「いいよわかんなくて」
 そんなことを言っている場合ではない。
 ミストフェリーズは軽く弾みをつけるとパウンシヴァルと同じようにふわりと浮き上がった。そのまま仔猫がからまっているところまで飛んでいく。
「にゃ〜。みしゅとおにいちゃぁん」
「ぱ、パウンしがみつかないで。今助けるから」
「みいい。おりられないよー」
 パニック気味だったパウンシヴァルは全然聞かずにミストフェリーズにしがみついた。マンカストラップくらいしっかりした体格なら平気だったろうが、ミストフェリーズは小柄で体力もあんまりなかった。
「きゃ〜。パウン、大人しくしてってば! 一緒に落ちちゃうよ!」
「みゃあ、ゆれるよう」
「そ、それはパウンが暴れるからだってば! 高いところは平気でしょう? じっとしててよ。ほら、はずれた」
「みゃぁ、おりれる…? あれ? きゃぁああっ?!」
「あっ、パウン!! えっ、なんで?!」
「わーっ! パウン!!」
「え、おい、何で落ちるんだ?!」
「きゃあああ、パウン!!」
「みゃーっ!!」
 どうやら引っかかったショックで魔力が切れたらしく、パウンシヴァルは電線から背中を下にして落っこちた。真下は自動車だのオーヴンだの、当たると痛そうなものばかりが積み上げられている。
 一瞬でそれを見て取ったタンブルブルータスは反射的にそのあたりに向かってダッシュした。一歩遅れてスキンブルが続く。しかし、自由落下のスピードには勝てそうにない。
「や、やだ、コントロールできない……!」
 とっさに魔術で受け止めようとして失敗したミストフェリーズは、自分もパニックになりかけていた。
(ど、どうしよう……何か、下に受け止めるもの!)
 
 パウンシヴァルは落ちながら考えていた。
 さっき飛び降りたときは失敗してタガーお兄ちゃんの上に落っこちちゃったけど、ほんとはタンブルおにーたんみたいに綺麗に着地するはずだったんだもんね。いつも見てるんだからぱうんだってできるよね。どうすればいいんだっけ。こうやってくるっと回って、上手く足の方を下にして……
 
 ボロ自動車の上に、確かゴミ捨て場の隅にあったはずのバネの飛び出したマットレスが出現した。
 
 仔猫の体は空中で綺麗に半回転し、見事なフォームでマットレスの上に着地すると、スプリングの効用でぱうんぱうんと弾んだ。
 
「パウンー!!」
 タンブルブルータスはまだ弾んでいる弟に駆け寄ると、ぎゅぅうっと抱き締めた。
「怪我してないか?! もうお前は心配ばっかりさせるんだから」
「みゅう。ぱうんへいきだよぅ。ちょっとこわかったけど。ね、おにーたんみてたでしょ? ぱうんちゃんとちゃくちできたよね?」
「そ、そんなこと言ってる場合じゃないだろ?!」
「…びっくりしたー。もうだめかと思ったよ……でもパウン、上手に着地してたね」
 スキンブルはタンブルより柔軟だったようだ。…多分この場合誉められたことではないが。
「よ、良かった。間に合って…」
 ミストフェリーズが上から降りてくる。
「もー、どうしようかと思った……パウン、あんなとこで暴れたらだめだよ」
「み……ごめんなしゃい」
 ちょっとうなだれるパウンシヴァル。
「とりあえず良かった、無事で」
 スキンブルが全員の思いを代表した。
「でもねでもね、すっごくおもしろかったの! ぱうんとりしゃんみたいだった?」
「うん、パウン鳥さんみたいで可愛かったよー」
「スキンブル…無責任に乗せるの止めてくれ」
 タンブルブルータスはなんだかやつれている。無理もない。
「それにちゃくちできるようになったよー。ぱうんもおにーたんみたいにとべるよねー、おしえてねじゃんぷ」
「あ、ああ…」
「わーいわーい。おにーたんのじゃんぷー。ぱうんもやるのー」
 タンブルは思った。こいつ、反省してない。こういうところもスキンブルに似ている…。
「お前な、前向きも程度によるぞ」
「にゃ?」
「いや、良いよもう…」
 とりあえずこれで空を飛びたいとか言い出すことはなくなるだろう。なくなると思う。思いたい。お願いなくなって。
「ははははははははははは」
 タガーはひとりで笑っていた。
「……タガー。今度こういうことして子ども煽ったりしたら、そこの電線がからまってるとこの上にのせちゃうからね」
「う」
 ミストフェリーズが暗い声で釘を刺した。タガーがちょっと固まる。感電するのは嫌だろうさすがに。
「パウン飛べて良かったねー。ほら、ミストお兄ちゃんにお礼言いなさい」
 スキンブルが無責任に言った。前しか見ない性格が似ているせいか、彼はパウンに好意的である。自分のやりたいことは何がなんでもやるあたりも似ているし。
「うんっ! みしゅとおにいちゃん、ありがとー! あのね、ぱうんすーっごくたのしかったのー!」
「そう…よかった。でもね、さっきも言ったけどほんとに誰にも言わないでね。それから、もう二度とやんないからね」
 ミストフェリーズはきっぱりと言い渡した。
「みゅ…だめ?」
 パウンシヴァル、媚びこび。ちょっぴり首を傾げるポーズは、実はスキンブルから伝授された技である。はっきり言って自信有りだったのだが、
「絶ッッ対だめ」
 残念ながら、効かなかった。



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