猫注意報（笑） 〜ぱうんちゃんシリーズ１．飛翔編〜
１．ぷろろーぐ
……天気予報を申し上げます。本日のロンドンは一日晴天でしょう。…ただし、超局地的に猫が降る模様です。傘の必要はございませんが、当たると痛いですので頭上にご注意を…
２．ぱうんちゃんそらからふる
「きゃ〜〜〜〜！！！」
「わーーっ！！ パウンー！！」
ある日ラム・タム・タガーが歩いていると、空から声と一緒に猫が降ってきた。
……と簡単に言ってしまうととても簡単だが、通常猫は空から降るものではない。
「なんだぁあ？！」
とっさに避け損ねたタガーの上に、その猫は狙ったように落ちてきて、背中に当たった。………痛い。
「……ッくぅ…………」
「あー！！ たがーおにいちゃんだぁ！」
ひとの上に落ちておいて、何故かほとんどダメージがないらしいその猫はとても明るい声を上げた。彼が密かに自慢にしている首周りのふさふさ長い毛にしがみついて遊んでいる。
「…って、何しやがる！ てめーいきなりひとの上に降って来といてなにがおにいちゃあんだ？！」
彼は背中にへばりついたものを無理矢理引き剥がした。
「みゃ〜」
白地に茶色のブチ模様の、ころころふわふわした仔猫が手にぶら下がってきた。まだ赤ん坊と言っていいような子どもだ。
「パウンシヴァル……お前は…」
「にゃ〜。たがーおにいちゃんだいじょーぶだった？」
「お、お前な、大丈夫かってのは落ちてきてからすぐ訊くモンだぞ」
「そーにゃの？」
「そうなんだよ！」
パウンシヴァルは少し前に産まれたばかりの仔猫である。ただいま可愛い盛りという奴だ。それは良いのだが、元気すぎて最近少々迷惑である。
「パウン！！ 怪我してないか？！」
再び上から声と一緒に猫が降ってきた。ただし、今度の猫はきちんと空中で一回転し、見事な体勢で着地した。
「おにーたんしゅごいー！！」
パウンシヴァルはタガーに持たれたまま、きゃーきゃー言いながらちっちゃな手で拍手した。
「タンブルかい」
パウンシヴァルとよく似た、白地に茶色のぶち模様の少年だ。似ているのも道理で、彼の兄である。タガーより年下だがなかなかしっかり者だ。本名はタンブルブルータスという。
「お前ら……一体何なんだ？ 空から落ちてくるものは雨だけでじゅーぶんだぞ。なんでこいつが降って来るんだ」
「いや…パウンがやりたがって」
「…は？」
「僕が屋根の上から飛び降りるの見たら、やりたくなったらしくってさ。どーしてもやるってきかなくて、止めたんだけどいきなり飛び降りちゃって」
「って……ここからか？」
彼らが飛び降りてきたのは、このあたりで一番高い建物だ。いつもの集会場所であるゴミ捨て場からはちょっと離れたところにある古アパートだが、４階建てなのだ。猫にとってもかなりの高さである。猫なら大抵２階くらいの高さは平気だし、タガー自身かなり高いところでも平気な方だが、さすがにここから飛び降りる気にはあまりならない。
「こんなとこからよく飛び降りるなあ……」
思わず感心してしまった。
…そういえば。最初の悲鳴も、なんとなく楽しそうではなかったか？ たとえて言うなら、ジェットコースターに乗ってあげる悲鳴のように。
ふと疑問を感じた。パウンシヴァルはまだよちよち歩きの赤ん坊である。
「なあ。パウンって、もう飛び降りできるのか？」
「今見たとおりだよ」
タンブルブルータスの返事はそこはかとなく疲れ果てていた。
「いや、今見た通りって……俺の上に落ちてきたし」
「こいつ…跳ぶの好きなんだよ、まだよちよち歩きのくせに」
「だっておにーたんとんでるもん。ぱうんもとぶのすきー」
彼は群れの雄猫たちのことは「お兄ちゃん」と呼ぶのだが、何故か実兄であるタンブルブルータスのことは「おにーたん」なのだ。一応区別があるらしい。
「……はあ…」
なんだか呆れるより感心してしまって、いつもの調子が出ない。
「ジャンプしようとしてるうちはまあ可愛いもんだと思ってたんだけど、高いところから飛び降りるのまでやりたがるんだよ…」
「とぶのたのしいのー」
「ふーん…さすがお前の弟だな……って」
タンブルブルータスはジャンプが得意なのだ。ハイジャンプも上手いし技も入る。さらに飛び降りも得意だ。そんな兄を見て育った弟が、同じように跳ぶことに憧れる気持ちは分からなくはない。
分からなくはないが……
「ひとの上に落ちてくるな。迷惑だ！」
「うん。今のは悪かったと思う」
「ごめんねたがーおにいちゃん」
「………」
なんとなく突っ込む気が失せてしまった。パウンシヴァルはタガーの腕の中で、無理矢理ジャンプの真似をしている。まぁ素直に見れば大変に微笑ましくて可愛いのだが。
「ぱうんとぶのだいしゅきなのー。ぴょんぴょん」
「うん。パウンが跳ぶの好きなのは分かってるんだけどな。でもとりあえず飛び降りはもうしばらく待ってくれないか…？ 心臓に悪いし」
タンブルは相当手を焼いているようだった。
「あ、とりしゃんー」
しかし弟は兄の苦労など知っちゃあいなかった。上を見上げてのどかな声を出す。
「とりさんとりさんー」
「はぁ…？」
少年猫二匹も思わずつられて空を見上げた。はるか頭上に、鳥がゆっくりと飛んでいるのが見える。
「とりしゃんすごいねー。すっごーくたかくとべるもんねー」
「…そらまぁ…鳥はそーいうもんだろ。飛ばねぇ鳥もいるけど」
「あのねあのね、ぱうんもあんなふうにとんでみたいのー」
「あのねパウン。それは無理だって前から言ってるだろ？ 猫は高いとこから飛び降りるのはできるけど空は飛べないの」
タンブルは実際良いお兄ちゃんだった。だが幼児というものは人の話なんぞ聞いちゃいないものである。
「なんでー？ ぱうんもとびたいのー」
「バーカ、ンなもん無理に決まってっだろ。猫には羽なんか生えてねぇんだから…」
そこまで言いかかってタガーはふと気がついた。
「あ…そっか。あいつならひょっとして…」
「わーい。しゅきんぶるおにーちゃんなのー」
いつものゴミ捨て場に３匹が入っていくと、パウンシヴァルが一匹の猫の姿を見つけて大喜びで飛び出した。
まだ昼下がりなのでほとんど猫の姿はない。いつも口うるさい銀トラ猫がいる古タイヤの上に、彼の代わりに仔猫が二匹いて何かしゃべっている。
パウンが嬉しげに呼んだのはそのうちの一匹だった。茶トラ模様の元気いっぱいな仔猫。鉄道と列車をこよなく愛する彼の本名はスキンブルシャンクスである。…しゅきんぶると言うのは正確にはスキンブルと言いたかったものと思われる。
「わーい。パウンだー」
スキンブルは全く同レベルの喜び方をしてパウンシヴァルを抱き上げた。
「…なあタンブル。あいつらって似てるよな。ノリが」
ラム・タム・タガーはうるさいリーダーがいないことを確認して密かに安心しつつタンブルに言った。
「うーん…」
タンブルはちょっと複雑な表情で言った。
……確かに似ている。やたら元気がよくて落ち着きがなくて騒がしくて感情の赴くまま突っ走るところとか。まあスキンブルは悪い奴ではないからいやなわけではない。
少なくとも、タガーよりはずっといい奴だ。
パウンシヴァルはスキンブルの両手にぶら下げられて、「ぱうんだんすー」などと言いながらぴょこぴょこ揺れている。あげくにぷにぷにのほっぺをつついてもらって大喜びである。可愛い。
「珍しい組み合わせだね、タガーとタンブルなんて」
そう言ったのはもう一匹の真っ黒な仔猫だった。ミストフェリーズ。大人しくて内向的な性格だが、実はとんでもない力の持ち主なのだ。
ひたすら元気なスキンブルと大人しいミストは、何故か仲良しである。多分さっきのもふたりでしゃべっていたと言うよりはスキンブルが一方的にしゃべりまくっていたのだろう。
「よ、ミストいたか。お前に頼みたいことがあるんだけどな」
「僕に？ 何？」
「…タガー本気？ いくらミストでも、そんな無茶な」
タンブルは困惑気味の表情だ。
「何なの？」
ミストフェリーズが首を傾げる。
「きゃ〜ころころ〜」
「お〜。パウンころころー」
パウンシヴァルとスキンブルシャンクスはまだふたりで転がって遊んでいた。…似ている。真面目なタンブルブルータスより、ある意味兄弟のようである。
「こらパウンこっち来いよ。ミストに頼むから」
「ちょっとタガー、やめてよほんとに…」
「何？ パウンがどうかしたの？」
「いや、実はさ…」
３．ぱうんちゃんそらをとびたがる
「空を飛ぶ？！」
黒猫は金色の目を見開いた。
「へー。パウンそんなこと言ってたの？ 面白いねー」
「できっか？ お前の力で」
「あのさミスト。無理ならほんとに無理で良いから…て言うか是非とも無理と言って欲しいんだけど」
「とぶのー。おそらとぶのー」
ミストフェリーズは好き勝手なことを言う４匹の顔を順番に見渡した。
スキンブルシャンクスは単なる純粋な好奇心。ラム・タム・タガーはひたすら成り行きを面白がってにやにやしている。タンブルブルータスは困惑と心配。「頼むから無理だと言ってくれ」とその目が雄弁に語っている。
そして、パウンシヴァルは……期待に青い瞳をきらきら輝かせていた。
ミストフェリーズは魔術師なのである。何故そんなことができるのかは本猫にも分からないらしいが、生来の才能なのだ。ものを消したり瞬間移動させたり爆発させたりといったことは生まれつき出来たらしく、最近はさらなる力を身につけてきているらしい。
「えーっと…」
ミストフェリーズは考え込んだ。
「その…出来ることは出来ると思うんだけど…」
「ほんと？！ できるの？！」
パウンシヴァルの顔が瞬時に１００Ｗ電球のように輝いた。きらきら。
「ミスト〜…やめてよ〜」
タンブルは反比例的にとても情けない顔になった。
「おお。よかったなーパウン」
タガーは無責任にパウンシヴァルを乗せた。
「とぶのとぶのー。おそらとびたいのー」
「待てよパウン。そんなこと無理だって…タガーも無責任なこと言わないでよー」
「マジでできるのか？ ミスト」
タンブルは必死で事態を収拾しようとするが、タガーは無視した。ひでぇ奴である。
「うーん・・・浮かばせるくらいなら他のもの浮かせるのと同じだから…パウン軽いし。でも、鳥みたいに飛ぶってことになったらできるかなぁ…自分の意志で飛ぶわけでしょう？」
「お前、やったことないのか？」
「ないよ。そんなことできるかどうかなんて考えたことないし」
「えー？ そうなの？ にゃんで？ ぱうんおそらとびたいよー」
「うん。パウンがそう思うのはよく分かるんだけどね」
ミストはパウンの頭を撫でなでした。パウンはとても嬉しげにのどを鳴らした。
「とぶのとぶのー」
「うん…ちょっと待ってね。多分できると思うけど、やっぱり危なくないかなぁ…」
「ミストー。頼むから止めて…」
「おにーたん…だめ？ とぶのだめ？」
「う………」
パウンシヴァルはきらきら輝く顔から一転してとっても哀しそうな顔になった。目がうりゅうりゅと潤んでいる。分かりやすい。
……兄はあっさり負けたようだった。哀れである。
「…ぱうんとびたいの」
うるうる。
「………ミスト……なんとかしてくれ……ああここにマンカスがいてくれたら」
ここにリーダー猫のマンカストラップがいてくれたら、多分パウンシヴァルも納得する形で止めてくれただろう。しかし最後の防波堤はいなかった。もはや流れは止められない。
「う〜ん……」
「ね、みしゅとおにいちゃん、とばせて。ね、ね、おねがいっ！」
「分かった。やってみる」
本当に良いのかミスト！
しかしそんな真っ当な理性の声は全身を喜びに輝かせるパウンシヴァルには届かない。
「わーい！！ とべるのー！ おにいちゃんありがとー！」
ミストフェリーズは大喜びのパウンシヴァルを見つめて言った。
「だけど、パウンがちゃんと約束できたらだよ。空飛ぶなんて危ないんだから。パウン、守れる？」
「にゃ？ やくそく？」
「そう。約束」
「うんっ！ ぱうんやくしょくまもるの！」
「まずね、あんまりたかーい所まで上がっちゃだめだよ。僕らが見えないような遠くまで行ってもだめ。あんまり遠くまで行っちゃったら僕の力が届かなくなっちゃうかもしれないから。守れる？」
「うんっ。わかった！」
「それからね、降りといでって言われたらすぐ降りて来るんだよ。いい？」
「うんっ」
「もうひとつ。空飛ぶのはこれっきりだからね。猫はほんとは空飛んだりするものじゃないんだから、今日飛んだらもう二度と飛びたいなんて言わないこと。絶対だよ？」
「うんっ！ おそらとぶの！」
不安だ…………。
タガーとパウン本猫以外の全員の胸に、共通の想いが去来したが、止められる者は既にいなかった。
「あ、もうひとつ！」
ミストフェリーズは慌てて言った。
「これが一番大事なんだけど、このことはここにいる僕たちだけの秘密だよ。誰にもしゃべっちゃだめ。マンカストラップにも言っちゃだめだからね。いい？ これが守れないんだったら飛べないよ」
「にゃ…いっちゃだめなの？」
「そう。絶対だめ。誰にもしゃべっちゃだめ」
「みゅう…」
パウンはう〜んと首を傾げた。……それが一番難しいらしい。
「…だれにも？ まんかしゅおにいちゃんにもだめなの？」
「マンカスにもっていうか、マンカスにだけはっていうか……とにかくだめ。誰にも」
「みゅ〜……わかったぁ。だれにもいわにゃいの」
「絶対だよ」
「うんっ。ぜったい」
「よーし。じゃあね、パウン目をつぶって」
ミストフェリーズはそう言うとパウンシヴァルのちっちゃな両手を取った。
「うんっ。つぶったの」
「そう…じゃあね、目をつぶったまんまで自分が空を飛んでいるところを想像してみて」
「そうぞう……？」
「そう。お空を飛んだらどんな風かなって、考えてみるの。パウン、鳥が飛んでるところを見たことあるでしょ？ これからパウンの背中に羽が生えるんだって思ってみて。ぱたぱた羽ばたいて、どんどん高くたかーく上っていくの、分かるでしょ？」
「うん…たかーく…」
目を閉じると、ミストフェリーズの声だけが聞こえてくる。
（おそらとんだら…えっとえっと……）
パウンシヴァルは一生懸命考えていた。
空を飛んだらどんな感じだろう？ さっき高い建物から飛び降りたときのことを思い出す。
体がびゅんびゅん風を切って、ちょっと恐かったけどすっごく面白かった。……あ、でも、あんな風に落ちたりはしないんだよね。羽が生えて……ぱたぱたして……きっと青い空や白い雲ががいつもよりうーんと近く見えるんだ。どんどん、どんどん高く……
仔猫の体は、ふわりと浮き上がった。
＜つづく＞
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