７．ミストフェリーズ
これからどうしよう。もうあの家には戻れない。
ラム・タム・タガーは僕の秘密をマンカストラップに話すだろう。また同じことになる。みんな僕を気味悪がって嫌うことになる。（悪魔！）
（おかしいと思ってたのよ。あの猫が来てから変なことばっかり起こるんだから！）
（化け物なんだわ。だから黒い猫なんて・・・）
（捨ててきなさい。それは猫じゃないんだ、悪いお化けなんだよ。これ以上家に置いておいたらもっと悪いことが起こるかもしれない）
（捨てるだけじゃ駄目よ。悪魔を追い払うのにそんなことで済むわけがないわ）
・・・・・・・・・・・・・・物心ついたときから僕には人間たちには出来ないことが出来た。ものを消したり、消したものを他のところから出したり、爆発させたり・・・・それがおかしなことだなんて知らなかった。当たり前に出来たことだから、悪いことだなんて知らなかった。
何があったのかなんて憶えてない。分かるのはきっと僕の力を人間たちが知ってしまったんだろうってことだけ。
この力を知ったとき、人間たちは僕を悪魔と呼んだ。憎悪と敵意と恐怖。生まれて初めて知った恐ろしい心。恐くてどうしようもなくて、僕は逃げ出した。
ふと思う。この力があれば、僕はひとりで生きられるんだろうか。・・・誰からも嫌われる代わりに、こんな力があるんだろうか。
・・・・悪魔っていうのは、そういうことなんだろうか。
「ちがう・・・・」
ああ、今なら言えるのに。あのとき言えなくなった言葉が、どうして今頃戻って来るんだろう。もう二度とあのひとたちには会えないのに・・・・
雨が降っている。工事現場の隅に積み上げられた土管の中には吹き込まないけど、どんどん寒くなってくる。この天気に外へ出ようなんて猫はいないだろう。ここへは誰も来ない・・・・・
「あーーっっ！！！ やっと見つけた！」
いきなり大きな声がして、土管の入り口から見覚えのある金色のたてがみがのぞいた。
「え・・・え？」
「お前なあ、この雨ン中かけずり回らせやがって・・・・風邪ひいたら責任取れよ」
ラム・タム・タガーが、濡れたたてがみを思いっきり震わせて入ってくる。
ど・・・どうして？
「安心しろタガー。バカは風邪ひかないって昔から言うだろ」
「あンだとてめー！」
とっさに逃げようとした反対側の入り口からマンカストラップの声がした。タガーが僕の肩越しに怒鳴り返す。
「な・・・・」
「あーもう、寒いぞくそ！ 眠いし！ マンカスおめーもだぞ。無理矢理引っぱり出しやがって・・・」
「雨が降り出したときに、いやなら帰れと俺は言ったぞ」
「くっそー・・・・」
「そんなことより、見つかって良かった。どこに行ったかと思ったぞ」
「お前って真っ黒けだから暗いとめちゃくちゃ探しにくいな。めーわくだぞその保護色」
「お前みたいなけったいな模様よりよっぽどましだ。なんなんだよその襟巻きは」
「な・・・なんで・・・・・・？」＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊「なんでじゃないだろ。いきなり出て行くから、どうしたのかと思って心配したんだからな。……ああ、声出るようになったって本当だったんだな、良かった」
マンカストラップはそう言うと黒い仔猫に手を伸ばした。
「い…やだっ！ こないで！」
パンッと何かがはじける音がした。
「わっ？！ なんだ？」
手を強くはたかれるような衝撃を感じて、マンカストラップは慌てて手を引っ込めた。
「あ……」
ミストフェリーズは愕然として凍り付いた。
「今の…、なんだ？ ミスト……」
「あ、やっぱりあれってお前がなんかしたのか？ お前ってみょーなこと出来るんだな」
「ご…ごめんなさい！」
「え？」
「あーやっぱそう？ すっげぇ、なんでお前あんな事できんの？ な、な、他にもなんかできるのか？ 出来るんだったらやって見せて」
「お前うるさいちょっと黙ってろ。何馬鹿なこと言ってるんだ」
マンカストラップはタガーを押しのけた。
「ごめんなさい、もうしません！ だから、嫌いにならないで……ぼくは」
「嫌いになんかならないよ。怒ってないし…ちょっとびっくりしただけだから。だから、落ち着いてどうしたのか教えてくれるか？」
泣き出しそうになる仔猫に優しく言う。
ミストフェリーズはうつむいた。
「な、ミスト。言いたくなくて黙ってるんだったら無理には聞かないよ。でも、黙ったままだったら、ずっとひとりで辛いまんまになるんだぞ。俺は、誰かがひとりで辛そうな顔してるの見たくないんだ。今すぐ話さなくても良いから、黙ったままでいなくなるなよ。……頼むから」
「そーだそーだ。またよりによってこんな雨の中」
「お前は黙ってろ！」＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊「一緒に帰ろう。それとも・・・・、一緒にいたくないか？ だから、出て行ったのか？」
「・・・・！ 違う！」
そんなことない。今さらだけど、・・・・僕はこのひとたちが好きだ。すごく、好きだ。でも・・・
「じゃあ、なんで・・・・」
「前のときもだめだったんだよ・・・！ みんな、あれを見たら僕のこと嫌いになるの、もうやだ・・・」
「前のとき？」
「ここに来る、前・・・・」
もう何年も前みたいな気がする。僕はまだ何ヶ月も生きてないのに。
「何か辛いことがあったのか？」
「・・・・・うん」
全部話そうと思った。もう知られてるんだから、これ以上嫌われない。今だったら全部話せる。
僕は話しだした。ずっと昔みたいな、でも本当はたった数日前のこと。
雨の音が静けさを引き立てるように響く。湿った空気が冷たかった。＊＊＊＊＊＊＊＊＊「………そうか。そんなことがあったのか…」
だから、人間をあんなに怖がっていたのか。
マンカストラップはミストフェリーズに気付かれないようにそっと溜息をついた。
ミストフェリーズの話は、ある意味では想像していたものだった。毛並みの綺麗さや他の猫に怯える様子からして、おそらく最近まで飼い猫だった。それなのに人間を怖がるのは、その人間に苛められるような目にあったのではないか？
ラム・タム・タガーとふたりで、多分そんなところだろうと見当は付けていた。
だが、実際の話を聞いてしまうと「やっぱり」では済まない。
「悪魔、か…」
迷信深い人間の中には、いまだに「黒い猫は悪魔の手先」などと言う馬鹿馬鹿しい話を信じている者がいる。彼の飼い主だった少女の家族がそういう人間だったのは確かに不幸だ。だが、ミストフェリーズの場合は、それだけでは済まないものがある。
「なんでこんな事出来るのか知らない。ずっと当たり前だと思ってたし、…悪魔だって、言われて、………知らなかったから…」
「ミスト……」
「何だよそれ馬ッ鹿馬鹿しい。人間ってどっからそんなこと思いつくわけ？ こんなちっこいガキが、どーやったら悪魔なんてな大層なモンに見えるんだよ。目ぇ腐ってンじゃねぇの」
ラム・タム・タガーがあっけらかんと言った。
「お前、ンなアホなやつんとこにいなくて正解だって。出来の悪い飼い主はこっちから見限ってやんねえとな」
「お前が言うと説得力があるのかないのか分からないな……」
いずれにしても威張って言うことではないと思うが。マンカストラップは今度ははっきり溜息をついた。
「ごめんな、辛い話させて。……でも、偉かったな」
「え…？」
突然偉いなどと言われて、ミストフェリーズは驚いたように顔を上げた。
「そんなに辛かったのに、お前はひとりで頑張ったんだもんな。偉かったよ、ほんとに」
「偉く…ないよ、だって、僕は…」
「えー、なんで偉くないんだよ。お前、面白いこと出来るんじゃん」
「……？」
「他の誰にも出来ないことが出来るってのは、偉いんだぜ。デュトロノミーのじーさんが言ってたぞ」
「タガーまたお前はオールド・デュトロノミーに対して……でもまあ、タガーの言う通りだよ。お前のその力は、絶対に悪いものなんかじゃない。だって、さっきタガーを助けられただろう？」
「あれは……、だって、びっくりして…僕、こんな力欲しくなかったのに」
「それでも、出来たんだろ？ ひとを助けられる力が悪いもののわけないじゃないか。……その力はお前だけの素晴らしいものだ。使うかどうかはお前が決めることだけど、いらないなんて言うなよ。そんなこと言ったら、お前が可哀想だろう？」
「僕が……？」
「そうだよ。その力はお前のものなんだから。……あのさ、人間の中には確かに猫を嫌いな人もいるし、お前が最初にあったひと達がお前を分かってくれなかったのはすごく哀しいことだけど、それだけでお前が自分のこと嫌いになっちゃだめだぞ」＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊「自分のこと・・・・・？」
「いろんなひとに会ったら中には好きになれないひともいるだろうし、好きになってくれない人もいるよ。でも、お前を好きになる人もきっといっぱいいる。だから、お前が自分のこと嫌いになっちゃだめだ。そんなことしたら、これから先どうしたって・・・いつまでたっても変われないぞ。・・・どうしても一緒に帰りたくなかったら無理にとは言わないよ。でも、これだけは絶対忘れるな。お前の力はお前のものだ。それに誇りを持って生きるんだ。それが俺達の生き方だから」
「だって・・・・、みんな言ったもの。嫌いだって・・・こんな力は嫌だって」
「みんなじゃない。少なくとも、お前の力をココロから面白がってる奴もそこにいるし、それに、お前のこと好きな奴は、俺と、タガーと、オールド・デュトロノミーとスキンブルと・・・・もうこんなにいるじゃないか。これから、もっともっと増えるんだぞ？」
「好き？・・・僕のこと？」
「ああ。俺は好きな奴いっぱいいるし、好きな相手には自分のことも好きになって欲しいよ。ミスト、俺のこと嫌いか？」
「僕は・・・・」
好きだよ。でも・・・・
「忘れるなよ。お前のこと好きな奴はいっぱいいるんだよ。なのにお前が自分を嫌いになるなよ」
「マンカスおマエってさ、なんでそーいうみょーに小難しい言い方するワケ？ 一言戻って来いって言えばいーじゃんよ。あのなミスト、俺はこいつみたく理屈捏ねるの嫌いだからはっきり言うけど、俺はお前みたいにうじうじいじいじしてる奴は大ッ嫌いだからな。でも、お前の力は気に入ったんだ。せっかくそんな面白いことできんのに、ちょっとアホな人間にごちゃごちゃ言われたくらいで嫌がるなよな」
「だって・・・」
「だってとかでもとか言い訳禁止。だいたい、人間なんかに負けるなよ。お前は猫なんだから、人間なんか鼻であしらってやりゃいいだろ。俺は一応飼われてることになってるけど、人間の言うことなんか聞いたことないぞ」
「お前は黙ってろ血統書付き。威張って言うことか。なにが言いたいんだよ全く・・・・」
僕はマンカストラップとラム・タム・タガーの言葉に動揺していた。マンカスが僕を好き？ どういうこと？ 分からない。それは・・・・僕が自分を嫌いだからだろうか。
「僕は・・・・だって、ずっと悪いことだって思って・・・」
「なワケねぇだろ。こんなちっこい可愛い猫のどこが悪魔だよ。笑うぞ俺は」
ラム・タム・タガーが本当にけらけら笑いながら言う。
「お前がすごく良い子だって、俺は知ってるよ。辛かったんだろうけど、お前はそれでもがんばれたんだから大丈夫だ。こんな良い子が悪魔なわけがないだろ？」
「僕は・・・・・・」
ほおが熱い。どうして目がかすむんだろう・・・・
「違うって、言いたかった。なのに、言えなくて、・・・どうしても言えなくなって、だから、だからもしかしたら本当なのかもしれないって思って・・・・」
「違うよ。違うに決まってるだろ？ お前は悪くなんかないんだ。もう、そんなこと考えるの、止めろよ。なんべんでも言ってやるから。・・・お前は悪魔じゃない、良い子だって」
８．月の天使
「違う……違うんだ。ほんとに、違うんだ……」
小さな黒猫の頬を涙が流れた。
「ああ……」
マンカストラップはミストフェリーズの肩をそっと抱いた。
「な、一緒に帰ろう。スキンブルと約束しただろ、明日一緒に遊ぼうって。あいつ、すごく楽しみにしてるぞ。新しい友達と遊べるから」
「ともだち…」
ミストフェリーズが小さく呟く。
「なれるのかな、僕、あの子と友達になれるかな」
「なれるって言うか…あいつ、もうお前のこと友達だと思ってるぞ。あいつの場合、いっぺん会った相手はとりあえず友達として登録完了だからな」
「え…？」
「他にもいっぱいいるよ、お前の友達になれる奴。だから、一緒に帰ろう」
「うん。うん…」
「俺もさ、捨て子だったんだよ。だから…うちの群れの猫はみんな家族だって思って育ったんだ。オールド・デュトロノミーがおじいちゃんで、ジェニーおばさんがお母さんみたいなもので……歳の近い奴らはみんな兄弟だと思ってる。だから、お前もそう思ってくれないか？ これまでひとりでも、これからそういうの、いくらでも作れるから」
「きょうだい…？」
「そうだよ。ミストは俺の弟。駄目か？」
「だめじゃない…けど、良いの？ ほんとに、いいの？ 僕、一緒にいてもいいの？」
「悪いわけがないだろ？ 俺はミストみたいな可愛くていい子の弟が出来たら嬉しいよ」
「マンカス……お前ってそーいう言い方して子どもたぶらかしてたのか……。そーかそーかそんな手口でいたいけな幼児を何匹もいてッ」
ごいん。
マンカストラップは容赦なくラム・タム・タガーをドツいた。
「今度いらん発言をしたら物理的に余計な口がきけないようにするからな？」
「お前……今のは思いっっきし殴ったよな…？」
マンカストラップはタガーを無視した。
「ほら、もうじき雨が止むから、そうしたら一緒に帰ろう……この馬鹿は何ならほっといてもいいし。ここに捨てて帰っても馬鹿は風邪ひかないから」
「はーくーじょーうーもーのー」
無視。
「僕……僕ね」
仔猫はマンカストラップにしがみつくと、涙を拭うのも忘れて言った。
「ずっと……言いたかった…。好きだって、大好きだって、ずっとここにいたいって、言いたかったの…」
「うん……」
「でも、恐くて…またひとりになるの恐くて……何にも言えなくて…」
「うん。…もう大丈夫だからな。何にも恐くないからな、みんな一緒にいるから、な……」
マンカストラップは泣きじゃくるミストフェリーズをそっと抱き寄せた。仔猫は少年の胸にしがみついて本格的に声を上げて泣きだした。
「あー。マンカスが子ども泣かしたー。めっずらしー」
「喧しいわこのアホ」
「泣ーかしたぁ泣ーかした。子守名人マンカストラップが子ども泣かしたー」
「お前という奴は……嬉しいかンなガキみたいなこと言って」
「ふっふっふ。その状態では殴りたくても殴れまい。縋り付く子どもを突き放してまで俺を殴れるか？！」
「後で殴る」
「うっ…」
マンカストラップが真面目な顔で冷ややかに言う。ラム・タム・タガーがちょっとひるむ。
ミストフェリーズはふたりの馬鹿なやりとりに泣きながら笑い出した。＊＊＊＊＊＊＊＊＊「ああ、雨が止んだ・・・・」
ふとマンカストラップが言った。いつの間にか雨の音は聞こえなくなっていた。雨上がりの冷たい匂いがする。
「何だ、晴れやがったなぁ・・・・あんだけ降ったくせに」
ラム・タム・タガーが、土管の入り口から空を見上げて言う。
「さっさと帰ろうぜ。俺は眠い」
「帰るって、うちの家だろうが・・・・まったく」
マンカストラップはそう言うと僕を促した。
「さ、帰ろ。お前、そう言えば晩ご飯もまだだろ？ 帰って一緒に食べよう」
土管の外に出ると、空気が更にひんやりしていて、僕はマンカストラップにくっついて歩いた。
「寒いか？ ミスト」
「うん・・・でも平気」
「風邪ひかないようにしろよ？」
「うん」
「マンカス、『返事ははい』とか言わないのか？」
「黙れ」
ごん。そう言えばマンカストラップはけっこうすぐタガーを殴ってる気がする・・・・いいのかな。
「ミストー。だまされるんじゃねぇぞー。こいつはガキには甘い顔するけど実は暴力野郎なんだからなー」
「お前にだけだ、この馬鹿」
「・・・・・・」
何だかなぁ。タガーはなんだかんだ言ってマンカストラップのこと好きなんだ。マンカストラップも、よく悪口言ってるけどやっぱりタガーのこと好きそうだった。
友達ってこんな感じなのかな。
なんとなく、みんな黙り込んだ。夜の道は静まり返って、僕たちの微かな足音しか聞こえない。街灯の明かりが足下を照らす。
僕はふと空を見上げた。
「わあ・・・・・すごい」
まん丸な月が出ていた。真っ暗な空に、まるい銀色の光が浮いている。信じられないくらい綺麗だった。
「え・・・？ ああ、すごい月だな・・・」
マンカストラップも足を止めて、空を見上げた。緑色の瞳が銀の光を受けてきらきら光って見えた。
僕たちはそのまま三匹で並んで、しばらく黙って月を見上げていた。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊「俺たち猫は、月の女神の祝福を受けた誇り高き闇の眷属だ」
不意にマンカストラップが口を開いた。厳かで威厳に満ちた、どこかオールド・デュトロノミーにも似た口調だった。
「ミスト、こんな話知ってるか？ …俺達の魂は、死んだらあの月の彼方にある天上の世界に昇るんだ。そして、またいつかこの世に生まれ変わってくる。……その時、特に月の女神に愛された猫は、黒い毛皮をもらうんだよ。月の光を受け止める、夜の色の毛皮を」
太陽の光は闇を祓う。そうしてこの世に力を与える。
闇はなにも与えない。ただそこに在り、この世の全てをその大いなる懐の中に受け入れる。
そして、月の光は闇を厭うことなく夜を照らし、ただ静かに闇が受け入れた者達を癒すのだ。
「…ほんとに？」
「本当だよ。それにお前には他の黒猫にはない不思議な力がある……きっとミストは、この世で一番月の女神に愛されている猫なんだよ」
「何だぁ？ じゃ、俺やお前は中途半端に愛されてるワケか？」
ラム・タム・タガーが、自分やマンカストラップの体を見て言った。確かに、彼の毛皮は全体的には短くて黒い。頭と首周り、それにしっぽに、妙に長い金色の毛が生えているのだ。マンカストラップは銀地に黒い縞模様である。
「ははは、そうかもな」
マンカストラップは笑ってミストフェリーズの頭を撫でた。
寒いせいか、ただぬくもりが恋しいのか、仔猫は彼にぴったりくっついている。闇色の毛皮が、月の光に輝いていた。光と闇が同居する、月夜の妖精のように。
「あのね…」
ミストフェリーズは二匹の少年猫を見上げてそっと呟いた。
「うん？」
「あ？ なんだ？」
「僕、マンカストラップのこと大好きだよ」
「そうか、ありがとう。俺もミストのこと大好きだよ」
「あのな、ンなわざわざ言うようなことかよ。真面目な顔して」
「それからね、タガーのこともけっこう好きだよ」
ラム・タム・タガーが目をむいた。流石にこうも面と向かって素直に言われるとは思わなかったらしい。
「そうか、タガーもミストのこと大好きだよ。良かったな？」
「うん」
「こら待てぃ！ なに勝手に決めてんだそんなこと！」
「照れなくて良い照れなくて。ここまで一緒に探しに来といて言い訳は無駄だぞー」
「おーのーれーはー………いつもいつも…」
「さぁ早く帰ろう。タガーお前、うちに帰る気はないわけだな？」
「あ？ 俺ァ今日はお前ンちで飯食って寝ることに決めてるぞ」
「決めるなよお前はー……ま、今日は良いか」
「でもあの教授、飯忘れてねぇだろな。このところ二日に一日は忘れてるぞ」
「最近なんか論文の締め切りが近いとか言ってるからな…」
「…ろんぶんってなぁに？」
「さあ…？ なんかよく分からないけど机に向かって延々唸ってるんだ」
「人間のやることってわかんねぇよな…」
「まあ、なければ適当にネズミでも捕るさ。ほら、もうすぐ着くぞ」
＊＊＊＊＊＊＊＊＊ずいぶん長いこと歩いたと思ってたのに、僕がいた場所は実はそんなに遠くではなかったらしい。ゆっくり歩いてるのにけっこうすぐにマンカストラップの家に着いた。
「おお、着いたついた。さー飯はあるかなーっと」
「お前、それが勝手に食べに来てる者の言いぐさか？」
「はっはっは」
周りはもう真っ暗だ。家の中も、猫の目でもほとんど何も見えないほど暗かった。
マンカストラップが上手に跳び上がって明かりをつけた。部屋の中が急に明るくなって、僕は思わず目をつぶった。
「わっ！ いきなり明るくすんなよ、眩しいじゃねえか！」
「無理言うな。スイッチ入れたらすぐ明るくなるに決まってるだろ！」
「あ、飯がある」
タガーは文句言ってたことをすぐに忘れたらしく、嬉々としてご飯に飛びついた。マンカストラップによるとタガーはよその人間に飼われてるようだけど、だとしたら確かに厚かましいと思う。僕がここに来てから、タガーがこの家にご飯を食べに来なかったことの方が少ない。
「ミスト、食べなさい。タガーお前は少しは遠慮しろ」
「おお今日の魚は美味い。でもたまには肉食いたいなー、マンカスお前＜教授＞に注文しろよ」
「自分ちでしろ」
「おれんちはなんか得体の知れねぇ缶詰ばっかなんだよ。あんなまずいモン毎日食ってられっか。まともな肉や魚なんて出たことねぇんだからな」
「おまえんちって金持ちだろ？」
「金持ちの人間って、なんでか知らねぇけどそーいう変なモン食わせれば猫が喜ぶと思ってるんだよ。しみじみわかんねぇなあれだけは。べたべた抱き締めればいいとかさ、なんであんな変なこと信じられるんだ？ 人間って馬鹿ばっかりだぜ」
「猫だって人間と同じでいろんな性格のがいるってことを分かっていない人間は確かに多いかもしれないけど、お前のわがまま自分勝手やりたい放題ひねくれ者な性格は、個性の域を超えていると思うが・・・・」
「うるせ。俺はやりたいように生きるんだよ」
「まあ、我が儘もそこまで堂々と主張されるとある意味立派かもな」
・・・・・よく分からないけど、誉めることなんだろうか・・・？
マンカストラップは、黙ってふたりの話を聞いている僕に向き直ると、真面目な顔をして言った。
「ミスト。お前は賢いから分かるとは思うけど、将来ああいう猫にだけはなるんじゃないぞ。あんなやりたい放題、本来なら絶対許さないところなんだ。オールド・デュトロノミーが『猫はそれぞれの自分の意志に従って生きるのだ』とか仰るから最大限許してるけど、俺個人の意見とはしてあれを『自分の意志』なんて立派なものとは断じて認めん」
「はい・・・」
「マ〜ン〜カ〜ス〜・・・・おめーはこんなとこでどさくさに幼児を洗脳する気か〜？」
「俺は真実を述べてこの子に正しい道を歩んでくれることを期待しているだけだ。まあ、ミストはお前みたいな馬鹿じゃないから大丈夫だろうが」
マンカストラップはにこやかに言った。・・・何だかずいぶんきついこと言ってるような気がする。
「へっ、なぁにが正しい道だよ・・・」
タガーはそう言うといつもの棚の上にさっさと登って丸くなった。
「ミストも寝るか？」
「うん」
「じゃ、おいで。一緒に寝よう」＊＊＊＊＊＊＊＊＊マンカストラップはミストフェリーズと一緒にベッドに丸くなった。毛布に潜ると暖かい。
仔猫がしがみつくように体を寄せてきた。
「マンカス……」
「ん？ どうしたんだ？」
「ね、きょうだいってどんなものなの？ …僕、ひとりだったから……」
「ああ…」
マンカストラップは微笑んでミストフェリーズの頭を撫でる。
「そうだな…一緒に遊んで、教えたり教えられたりして、時々けんかして……その時は大嫌いになったりするけど、でも大好きなんだ。この町の猫はみんなそうだよ。俺もそうだけど親がどうとかなんて分からない奴がほとんどだから、これまで一人っ子でもこれからはみんな兄弟みたいなものだよ」
「ね、タガーも？ タガーもそうなの？」
「ああ。あいつは一番手の掛かる弟だな。……あいつはペットショップって言って、人間が俺達猫や犬なんかを売り買いするところで今の飼い主に買われたんだ。よくは知らないけどけっこう高かったらしいよ。でも、人間に飼われる暮らしにどうしてもなじめなくて、初めてこの町に来たときは家出同然だったんだ…今はまあ時々帰ってはいるらしいけど、な」
初めてラム・タム・タガーに会ったときのことを思い出す。
世間知らずで生意気で、信じられないほど自由な心を持っていた少年は、恐ろしいことにそのまま成長して、今やなかなかの実力さえ身につけている。ある意味、大した奴かもしれないのだが。
「いつもいつも問題ばっかり起こす奴だけど、あれで結構人気はあるんだよな…ミストもあいつのこと好きだろう？」
「うん。……そうかあ。そうなんだ…マンカスもタガーのこと好きなんだ」
「………面と向かって言ったらものすごく嫌がるけどね、あいつほんとにひねくれてるから」
「なんで？ タガーもマンカスのこと好きでしょう？」
「だからひねくれ者なんだよ。そんなことあいつに言ってみろ、どんな反応するかな・・・怒って殴るか逃げ去るか」
「…変なの」
「変な奴だよ。でも良い奴だよ、お前のこともすごく心配してたんだから」
「うん……」
「ほら、もうお休み。明日スキンブルと思いっきり遊ぶんだろ？ きっと他にも大勢来てるよ、明日はいい天気だろうし」
「うん。楽しみ…」
「きっと楽しいよ。じゃ、おやすみ」
「はい。おやすみなさい…」
そういってまもなく、小さな寝息が聞こえてくる。
マンカストラップはほっと溜息をついた。
良かった。この子が自分たちを受け入れてくれて。哀しい想いに押しつぶされてしまう者は少なくない。ミストフェリーズはそうなってしまうところだったのだ。月の女神が気まぐれに与えたような不思議な力を受け入れられないままに、取り返しのつかない悲劇を招くことだってあり得ただろう。
「もう大丈夫だよな…」
たとえ時間はかかっても、心の傷はいつか癒される。自分を受け入れることが出来たならば、もう大丈夫だ。
マンカストラップは仔猫の黒い頭をそっと撫でると、自分も丸くなって目を閉じた。明日はいい天気だ。
きっとなにもかもが良くなる…。
＜続く＞
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