３．いい日旅立ち合い言葉
外に出してもらえるようになってから、僕はまず最初にマンカストラップの家に行った。全然知らなかったけど、僕の家のすぐ近くにあったんだよ。
外に出られるようになったよって言ったら、マンカストラップはとっても喜んでくれて、集会場に連れて行ってくれたんだ。
ほんとにいっぱい猫がいた。初めて見るものばっかりで、きょろきょろしてたら笑われたりしたけど、僕と同じくらいの年頃の子達もいっぱいいてすぐみんな友達になったんだ。
「猫としての本当の名前」のことも教わったしね。
スキンブルシャンクスっていう名前は、その頃にオールド・デュトロノミーが付けてくれた名前だよ。最初の名前から取ったんだって。いいでしょ。でも、もっとすごかったのはね、それから駅長さんが仕事のときに僕を連れていってくれるようになったことなんだ。
最初はいつもって訳じゃなかったけどね。集会場まで行くよりずっと遠くまで歩いて、人間がいっぱい集まるところへ行くの。
駅には駅員さんがたくさんいて、僕を撫でたり駅長さんの秘密（新人の頃ホームから落ちかけてお客さんに助けてもらったんだって）を教えてくれたりして可愛がってくれて、すごく楽しいんだよ。
ある日、仲良しの駅員さんが言った。駅長室の窓から外を指して。
「おいスキンブル、見てみな。お前、列車なんて見たことないだろ？」
列車？ 一体なんだろう。そう思って、僕はその人の側に行って、窓から外をのぞいてみた。
不思議な光景だった。外へ出てからあちこち行ってみていろんなものを見たけど、こんなもの見たことない。
大きな……ものすごく大きな箱がね、いっぱい蛇みたいにながーくつながってるんだ。そこに人間がどんどん入っていくの。そう、その箱は人間が立って入れるくらい大きいんだよ。
つながった箱の列の一番端っこに、真っ黒な不思議なものがついてた。それだけ四角い箱じゃなくて、横になった太い筒の上に煙突がついてるの。
列車ってものを初めて見た僕は、その不思議な姿にわくわくしてじっと見つめてた。
「気に入ったか？ スキンブル」
「にゃあ！！」
そのとき、ものすごい音がしたんだ。
ボ───ッ！！
びっくりした途端、あの不思議な筒の上の煙突から真っ黒な煙が吹き出しているのが見えた。
「ほら、出発進行だ。これからあの列車は、ずーっと北の方へ行くんだよ」
大きな箱の列が動き出す。
あんな大きなものが、最初はゆっくり、どんどん速くなりながら走って行く。
想像もできないほど遠いところへ。
すごーく長いと思った列車は、あっと言う間に走り去って見えなくなった。
どこへ行くんだろう。北の方って言ってたけど、それはどんなところなんだろう？ そこにも僕みたいな猫はいるのかな。
いろんな事を考えて、僕は眠れなくなるくらいわくわくした。
人間達みたいに、僕もあの列車に乗りたい。
列車に乗って、ずっと遠い北の方へ行ってみたい。
きっととても楽しい……夢に見るくらいそう思ったよ。
夢の中で僕は列車に乗って、遠い遠いところへ走って行くんだ。列車の中がどうなってるのかなんて知らないから夢の中の列車は僕の家とおんなじ中身だったけど、あの夢をほんとにしたいって思った。「列車に乗りたいだぁ？ お前、訳わかんねぇこと考えんなあ」
ラム・タム・タガーが言った。群の中では数少ない方に入る飼い猫（一応）だから、列車のことも知ってたみたい。でも、反応はよくなかった。
「あのな、あれは人間用の乗り物だぜ。猫なんて乗せてもらえるかよ。もし出来てもなんかせっまい箱の中に閉じこめられて、まず出してもらえねぇな。俺はいっぺんだけ乗せられたことあるけどよ、楽しいことなんて、まずなかったぜ」
「そうなの？」
「そーだよ。ま、見てたら面白いかもしれねぇけどよ、好きならそれだけにしといた方が良いぜ」
「タガー。こんな小さい子が好きだって言ってるのに、そんな言い方はないだろう」
マンカストラップがそう言ってくれた。でも、タガーはフンと鼻で笑って、
「どんな言い方しろってんだよ。だいたい、猫のくせに人間に飼われて懐く奴なんかになんで気ぃ使ってやらなきゃならねぇんだよ！」
「お前がそーいうこと言う…？」
「俺が言っちゃ悪いかよ」
「血統書付き飼い猫」
「俺は好きで飼われてんじゃねぇっ！！ だいたいお前も飼い猫だろっ！！」
なんかタガーとマンカスが喧嘩始めちゃった。どうしようかな。
そういえばマンカスも実は飼い猫なんだよね。首輪してるのに最初気がつかなかったんだよ僕。僕だってリボン付けてるのにね。マンカスはしっかりしてて僕みたいに外に出たことない世間知らずじゃないからかな。おうちを教えてもらってびっくりしたもん。
でも、マンカスは列車に乗ったことはないみたいだった。「スキンブル、ご覧。列車が出て行くよ」
駅長さんに呼ばれて、僕は慌ててお昼寝をやめて窓のところへ飛んでいった。
僕が列車を気に入ったことはあっと言う間に駅員さんみんなに知れ渡って、列車が出るとときにはみんな僕を呼んでくれるようになってた。
「ほら、すごいだろう？」
何度見ても、タガーに意地悪言われても、やっぱり列車の出発の光景はすごくわくわくする。
雲みたいにもくもく上がる煙、汽笛の音、車輪が回る音……信号の色が変わると新しい世界が生まれるような気がするんだ。あの箱の列が夢の向こうへ僕を連れて行ってくれるって、そう思えるんだよ。
「そばで見てみるか？」
いいの？！ 僕は嬉しくって駅長さんに飛びついた。
駅長さんは僕を抱き上げるとホームへ降りて止まってる列車の側まで連れていってくれた。横から見るとやっぱり列車はほんとに大きい。
「こっちは三等客車。前の方に行くと二等客車、一等客車とあるんだ。一番前で機関車が引っ張ってるんだよ。一番後ろには車掌さんがいるんだ」
周りの人間達が、駅長さんに抱かれた僕をのぞき込んでいく。「可愛いー」なんて言う女の人までいた。
「ご苦労様です」
後ろから声をかけられて、駅長さんは振り返った。後ろにいたのは紺色の服を着た若い男の人だった。
「ああ、ご苦労様」
「あれ、その猫、どうしたんですか？ 可愛いなあ」
そのひとは猫好きらしかった。手を伸ばして僕の顎を掻いてくれる。
「にゃあ〜」
気持ちいいから手に頬をすりつけて甘えてみる。
「わあ、人なつっこいですねぇこの子」
「うちで飼ってるんだよ。名前はスキンブル。……一度連れてきたら列車がすっかり気に入ってしまったらしくて」
「あ、趣味合うなあ。僕も列車好きが高じて車掌になっちゃったクチですからね」
「こいつも車掌になるのか？ それは無理だろう」
「ははは、そりゃね……でも、こんな可愛い猫が列車に乗ってたらお客さん増えないかな」
乗せてくれたら嬉しいよ。…って言いたいけど僕たちの言葉って人間には分からないんだよね、こういうときはめんどくさいなあ。
「そういうわけには行かないさ。こいつは喜ぶかもしれないけど…」
やっぱり。駅長さんは苦笑してそう言った。
「そうですか？ 僕は子どものころ、飼い猫を連れて旅行に行く度に列車の中でそいつを出してやるかどうかで親と喧嘩しましたから、猫が乗ってる列車ってあって欲しいですけどね…」
……こういうひともいるんだなぁ……。人間にも色々いるって聞いてたけど、ほんとなんだね。
でも、このひとなら僕を列車に乗せてくれるかもしれないって思った、そのときから僕は本気で列車に乗ることを考え出したんだ。
４．さぁ 明日に向かって出発進行その日僕はいつものように駅に行った。僕が駅に行くようになってからもうひと月くらい経った頃だよ。
駅長さんは毎日連れていってくれるわけじゃなかったけど、とにかく列車が気に入った僕は連れて行ってもらえなくても自分で遊びに行くようになってた。夜に行ったら列車の窓がきらきら光って綺麗だから、自分で行くときは夜が更けてからが多かった。
その日も駅長さんが連れてってくれなかったから、夜になってから自分で行ったの。
駅長さんも駅員さん達も、「また来たのか」なんて言いながら頭を撫でてくれたりした。僕はみんなが忙しそうに働いてるのを見ながら、駅のプラットホームに降りていったんだ。
いつだったか駅長さんが連れていってくれたホームだった。大きな列車が止まってて、人間が大勢出たり入ったりしてる。その頃には僕のことはお客さん達の中にも知ってる人がけっこういるようになってたらしくて、僕の頭を撫でてから乗り込む人もいたりした。人気者だもんね。
僕は列車に沿って歩いていった。前の方はお客さんがたくさん出入りしてるけど、後ろの方は客車とは違う感じで人もあんまりいない。貨物車って言って、いろんな荷物が積んであるんだってこの前教えて貰ったから、そっちの方ならこっそり乗り込めるかもって思ってたんだ。
見つかったらさすがに怒られるかなっていうのはやっぱり思ってたんだよね。タガーの話じゃ、人間の中には猫が嫌いな人がけっこういるし、そういう人が嫌がったりしないように、動物を連れて列車に乗るときには籠の中に入れとくのが「マナー」なんだって。
でも、僕は誰か人間に連れられて乗る訳じゃないもんね。一度でいいから乗ってみたいって言ったって、人間には分かってもらえないんだもん。だから自分で乗るの。
あ。
確か人間が列車に乗るときは、「切符」って言うものがいるんだっけ？ あ、切符って言うのは、どこの駅からどこの駅まで乗りますって言うことを書いた紙みたいなものなんだって。それがないと乗れないの。よくわかんないんだけど、駅員さんが教えてくれたんだよ。
まあいいや、僕は猫だもんね、人間と一緒にすることないや。猫が切符下さいって言ってもたぶんくれないと思うし。
ボーッ！ 汽笛の音だ。
「発車いたします」
そのとき、声をかけられた。
「おや、スキンブル？ 何をしてるんだこんなところで。またひとりで遊びに来たのか？」
駅長さんだ！
捕まったら乗れなくなっちゃう。こっちへ向かってくる駅長さんを見て、僕はとっさに開いていた窓の隙間に滑り込んだ。
「あっ、こら！」
駅長さんの声が追いかけてくる。でも、あんな狭い隙間は人間には通れない。
ゴトン。
飛び降りた途端、大きな音と一緒に足元が揺れる。転びそうになって、僕は慌てて踏ん張った。やっぱり転んじゃったけど。
あたりは何だかよく分からない箱がいっぱい積み上げられていて、明かりはほとんどついてなくて暗い。何がどうなってるのかよく解らなかったから、他のところへ行ってみようと思って僕は歩き出した。さあ、夜行列車の冒険の始まりだ。
せっかく乗ったのに暗いところに閉じこもって終わるなんて嫌だから、明かりのついているところをとにかく探そうと思って、明るいほうへ行ってみた。
慣れてしまうと、足元の揺れもかえって心地いい。ごとごという音に合わせて、胸のわくわくがどんどん高まっていく。
列車が進んでる方向へ歩いていく。一番後ろの方で飛び乗ったから、人がいたりするのは前のほうだなって思ったから。
ずっと歩いていったら、目の前に扉が現れた。下に隙間がある。なんとかしてくぐれないかな……そう思って頭をねじ込んでみたら、なんとか通れた。
そこは人ひとりなんとか立てるくらいの狭い部屋みたいなところで、貨物車より良く揺れる。でも、すぐそこに同じような扉がある。下の隙間から光が漏れていた。もちろん、僕はくぐったよ。
そこはさっきまでいた貨物車と同じようにいっぱい荷物が積み上がってるところだったけど、さっきのとこよりはずいぶん明るかった。人の声もする！ ここは人間の出入りがあるんだ。
僕はそっと荷物の陰に隠れた。タガーに言われて、猫が勝手に列車の中を歩いてるのを見つかったらつかまっちゃうって知ってたから。冒険はまだ始まったばかりなのに、つかまるなんてごめんだもん。
「またですか？」
そーっと近づいていったら、人間達───列車の乗組員さん達───の話し声が聞こえてきた。
「まただ。どうにかならんものかな…」
何のお話ししてるんだろう？
「最近冗談じゃ済まないくらい多いんですよ。食堂車のほうでも神経とがらせちゃって」
「猫いらずなんか効かなくなってるからな、最近のは」
お話ししてるのは男の人がふたり。若い人とおじさんだけど、ふたりとも困り切ったような顔して溜息をついてる。どうしたんだろ。
「幸い客車のほうは気を使って掃除してますからまだ苦情は来てないみたいですけど、このままじゃどうにもなりませんよ。もう罠なんか平気で壊すんですから」
「参ったな。暖かくなればゴキブリもあるし…」
ガサッ。
部屋のどこかで音がした。ふたりの人間ははっとしたように辺りを見回してる。僕もつられて音の主を捜す。なんだろ？
ガサガサッ。
今度の音はもっとはっきり聞こえた。それに、憶えのある匂い。これってネズミの匂いだ。
あっちだ！！
僕はとっさにそのネズミに飛びかかった。かなり大きなネズミで、子どもの僕よりちょっと小さいくらいだったけど、僕はマンカスに教えて貰ってた通りに首筋に牙を立てた。ネズミは大暴れしたけど、じきに動かなくなった。
やったぁ。ほんとはそれまでマンカスが捕まえてきたネズミにとどめを刺す訓練までしかしたことなかったんだけど、初めて自分でやった狩りにしては上手く行ったよね。
でも、そこで僕は気がついた。
……人間がいたんだった。
「なっ、何だこの猫？！ 一体どこから？！」
「うわあ……僕、猫が狩りするところ初めて見ました。上手いもんですねえ。さすがですねえ」
「莫迦、感心してる場合か！ どこから入り込んだんだ、ネズミとゴキブリに頭を悩ませてるときに何だって猫まで入って来るんだ！！」
あああ、やっぱり。
若い方の人は感心してくれたけど、おじさんは怒って僕を追いかけてきた。
「そんな、怒ることないでしょう。可愛いですよこの猫。まだ子どもですよ。それに、ネズミ獲ってくれたじゃないですか」
「感心するなと言っとるんだ！！」
駄目だ、追っかけてくるやあの様子じゃ。僕は若い人が止めてくれてる間に逃げることにした。
「ああっ！！ あの猫客車の方に行くぞ！！ 止めろ捕まえろ〜！」
きゃ〜。
後ろから追ってくる二組の足音。僕は大慌てで走った。足の速さは自信あるけど、追いかけられるのはやっぱりあんまり嬉しくない。ここで捕まるのはもっといや！
猫がその気になれば、人間よりずっと早く走れる。瞬発力が違うんだって。後ろの足音はあっと言う間に遠くなった。僕は客車側の開いていた扉から飛び出すと、とりあえず隠れることにした。「え〜、お客様に申し上げます。まことに申し訳ありませんが、生後三ヶ月前後と思われる茶トラの猫にお心当たりのある方はいらっしゃいませんでしょうか。猫をお連れのお客様、飼い猫が脱走していないかご確認をお願いいたします……」
「ジョンソンさん何言ってるんですか。今日動物連れの人っているんですか？ そういう連絡受けてませんよ僕。それに寝台車は動物お断り」
「馬鹿ものっ、マイクを切ってから言え！！」
「どうでも良いけどあれだけでよく生後三ヶ月なんてことまで分かりましたね。僕全然分からなかったんですけど」
「だからマイクを切れッ！！」
……どこからともなくさっきのおじさんの声。そこに若い人の声がかかる。お客さん達の笑い声が客車のほうから聞こえてきた。
「なんですかこれは。この夜行は放送で漫才を流すんですか？」
「本当かもしれませんよ？ 猫が逃げてないかって言ってましたね」
この夜行列車は、三等客車は座席を倒して寝るようになってて、二等客車は寝台車、一等客車は個室（コンパートメントって言うんだよ）になっている。人間にとって夜は寝る時間だから、どの客車でもお客さんは寝ているようだった。
でも、起きておしゃべりしている人もやっぱりいるんだよね…。
見つかったらやっぱり捕まっちゃうよね。どうしようかな。
とりあえずなるべく見つからないように歩くことにした。幸い夜で暗いから、隠れやすいし。
後から考えれば…甘かったんだけど。
＜続く＞
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