〜鉄道猫物語〜
１．
Skimbleshanks, the railway cat
The cat of the railway train・・・・・
２．皆様もう御存知ですか僕が生まれたのは人間の家の中なんだ。お母さんの顔なんかは憶えてないんだけど、僕の他にきょうだいがたくさんいたのは憶えてる。
生まれて間もない頃、僕は駅長さんのお嬢さんに会った。今から思えば、僕が生まれた家の人の知り合いで、仔猫をもらいに来たってことなんだろう。でも、何にしたってそれは、少なくとも僕にとって運命の出逢いって奴だった。ある日、まだ目もろくに開かない頃だけど、僕たちのところに大きな男の人に連れられて可愛い金色の巻き毛の女の子がやってきた。そして、僕を抱き上げて、言ったんだ。
「この子が良いわ」
「エレン、その茶色い子が気に入ったのかい？」
「うん、この子が良いわ。一番可愛くて賢そうな顔してる。…ね、よろしくね。あたし、エレンって言うの。今日からあなたのお姉さんよ」
「にゃぁ」
なにを言われてるのかよく分からなくて鳴いてみたら、その子はすごく嬉しそうに僕を抱き締めた。
「やっぱり可愛い！ すごく賢いわ、この子。あたしの言ったこと、分かったみたい！」
「そうか？ 気に入った子がいて、良かった」
男の人（後で駅長さんって分かるんだけどね）は優しそうに笑うと、僕に向かって言った。
「お前は今日からうちの子だよ。よろしくな」こうして僕は駅長さん（そのときは知らなかったんだけどね）の家の飼い猫になった。
後で知ったんだけど、人間に飼われてる猫が子供を産んだとき、その家で育てられないと知り合いとかにあげちゃうことはよくあることらしいよね。実際、僕の周りでもよく聞くもん。だから僕の場合も、ここまではよくあるパターンだったんだと思う。
それからひと月くらい、僕はずっと家の中で過ごした。僕を連れて帰った女の子と男の人、それに女の人がいて、僕のことを撫でたり抱き締めたりご飯をくれたりした。僕はすぐにみんなのこと大好きになった。名前ももらったよ。スキンブルって言うの。これが僕の最初の名前。
外には出してもらえなかったんだけど、新しい家は仔猫にとっては遊園地と同じだしね、一日中ひとりで遊んでても飽きることなんてなかった。
でも、いつまでも家の中にいるのはやっぱり飽きるんだよね。
人間の家には、窓って言って向こうが見えるのにそっちへ行けない不思議な穴があって、その向こうには家の中よりずっと明るくていろんなものがある世界が見えるんだ。綺麗な花がいっぱい咲いてたり、ちょうちょがひらひら飛んでたりね。僕が生まれたのって春だったから、そんな光景がよく見えたよ。
あの窓から見えたのはあの家の狭い庭で、花壇や樹があって楽しいところなんだけど、今の僕が知ってる世界に比べたらほんとに小さいところだった。でも、それでもあの頃の僕には夢みたいだったんだ。
そのうち僕は、窓から見えるお日さまのいっぱい当たるところへ行きたくて堪らなくなった。うちの人は僕を可愛がってはくれたけど、僕が「外に出たいよ」って言っても絶対聞いてくれなくて、「お外は危ないのよ」とか「かわいい仔猫はさらわれちゃうのよ」なんてことまで言っていつだって止めるんだ。
でも僕はどうしても外へ行きたかったんだ。
だって、人間はみんな外へ出て行くんだよ。僕だけ家の中にしかいちゃいけないなんてこと、ないよね。
男の人が毎朝どこかへ出掛けていったり、女の人がいつもどこかから大きな袋を抱えて帰ってきたり、女の子が鞄を提げて出て行ったりする度に、僕はそう思えてならなかった。
だから……ある日、僕は窓の前でひなたぼっこしながらうつらうつらしていた。春の、あったかい日だったの、憶えてる。
そこに、女の人（ややこしいから言っちゃうけど、駅長さんの奥さんだよ）がやって来たんだ。
「スキンブル、悪いけどちょっと窓を開けさせてちょうだい。空気の入れ換えをしなきゃ」
窓を開ける…？
そのとき僕は窓ってものが「開く」なんて知らなかったから、すっごくびっくりした。
窓を開けるってどういうことなんだろう。そう思ってるうちに、奥さんはあの不思議な穴の端のほうをぐーっと押したんだ。
その途端、空気が変わったんだ。今まで家の中で嗅いでいた匂いと全然違う。
土やお日さまや植物や砂埃や自動車の排気ガスや……いろんなものがいっぱい混ざり合った匂い。
「こっちへおいで」って言われた気がしたよ。「お前はこっちにいるべきなんだから」って。うん、僕はあの時確かに何かに呼ばれたんだと思う。
僕は飛び出した。
今までどうしてもその向こうに行けなかった「窓」の向こうに、初めて僕は出ることが出来たんだ。後ろで奥さんが何か叫んでたけど、もう聞こえなかった。
飛び降りた足元（今思えば土だったんだよね）は人間の家の床とは全然違う踏み心地だったけど、僕は気に入った。柔らかいところと堅いところがあって、とっても楽しかった。
周りの何もかもがすごく素敵に思えたんだ。
嬉しくて嬉しくて、僕はあたりを見物しながら庭の中をあちこち歩き回った。そのうちその庭も狭い気がして（奥さんが出て来て捕まえられそうだったってのもあるけど）、僕はもっと外へ行きたくなった。この外にもっといろんなものがあるってことは分かってたもんね。だって家の人たちはみんな毎朝この庭に来てるわけじゃないもん。
そう決めると僕は急いで外へ出られるところを探した。すぐに、下に隙間の空いた扉が見つかったから、僕はもう迷わずにそこをくぐった。
胸がわくわくしてた。生まれて初めてのことを、さっきからずーっとしてるんだと思うと、もう踊り出したいくらい嬉しくて楽しくて、自然に足取りは軽かった。
「外」の地面は庭よりずいぶん堅くてごつごつして熱かった。でも僕は見えるものみんなが珍しくて面白くて、雲の上を歩いてるみたいにふわふわした気持ちで、三歩進むごとに立ち止まってあたりを見渡したりしてた。
こういう気持ちってさ、人間の家の中で閉じこめられて育ってないとわかんないよね。うん、だから僕、このことだけはタガーと話が合うんだよ。初めて外へ出たときの気持ち。ちょっと不本意だけど。でも、家の中しか知らない、おまけに子どもにとって、いきなりの外はやっぱり広すぎたんだよね。
最初は楽しくて堪らなかったけど、そのうち脚が痛くなっちゃって、おまけにそうなると周りのものがみんなすごく大きく見えてきて急に恐くなったの。窓から眺めてるのと、実際にその真下から見上げるのとでは、おんなじ樹だって全然見え方が違うんだね。すっごく大きく見えるんだよ。何もかもがそうなんだ。
どうしよう。後ろを振り返って見ても、もといた家までがとてつもなく遠く思えた。帰れないかも、って思って、泣きそうになったよ。
そのとき、声がかけられたんだ。
「どうしたんだ、こんなところで？ 迷子になったのか？」
優しい声だった。
これまで知ってた人間の言葉と違う、でも僕の知ってる言葉だった。
そこにいたのは、僕より一回り大きい、綺麗な銀トラ模様の猫だった。……これも今だからこう言えるけど、そのときの僕はものすごくびっくりしてた。だってそのときまで、僕は自分と同じ猫って生き物を知らなかったんだよ。
信じられない？ うーん、無理ないかな。でも、ほんとにそうなんだよ。今から考えたら僕だって信じられないけどね。
びっくりして口のきけない僕に、その猫はもう一度言った。
「見かけない顔だけど、飼い猫なのかな？ こんなところでひとりでどうしたの？ 迷子？」
このひと、いいひとだ。直観的にそう思った僕は、慌てて言った。
「違うよ、家の場所は分かってるの。あのね、脚が痛くなって、歩けないの」
「え？ 大丈夫か？ 怪我したのか？ 見せてご覧。そうだ、ちょっとこっちにおいで」
そのひとは僕を連れて側の路地に入ると、「その辺に座って休みなさい」って言ってくれた。そして僕の脚を診てくれた。
「ああ、怪我した訳じゃないんだ」
「うん。あのね、僕、ここの固い地面歩くの初めてだから」
「じゃあ、歩き疲れただけかな？ よかった。しばらく休憩したら痛くなくなるよ。そうだ、言い忘れてたけど俺はマンカストラップ。お前の名前は？」
それで僕は休憩しながら、いろんなことを話した。家族のこと、家の中のこと、これまでずっと家の中にいて、初めて外へ出てきたこと。外の世界がすごく楽しくて、思わず遠くへ来ちゃったことなんかも話したよ。
何しろ同じ言葉で話せる相手にあったのも初めてだから、僕は夢中だった。
マンカストラップは僕の話をにこにこ笑いながら聞いてくれて、それから自分たちのことも話してくれた。
この近くに住んでる人間の家に飼われてること、でも僕みたいに家の中だけにいるんじゃなくてよく外へ出てること、外にはいろんな仲間がいること……どの話にも僕には初めてのことばっかりで、ほんとにわくわくした。特に、たくさんいるって言う猫の仲間達の話が。
「僕も会いたいな、ねえ、みんなどこにいるの？」
「ここをもう少し行ったら、いつもみんなが集まるところがあるよ。今はまだ早いけど、暗くなってきたらみんな集まってくる」
「行ってみたい！ ね、連れてって。もう脚、痛くないよ」
「良いけど、家に帰らなくて良いのか？ おうちの人、心配してるだろ？」
「今戻ったら、もう外へ出してもらえないかもしれないもん。そしたらもう会えなくなっちゃうし、だったらずっと外にいるほうが良いよ」
僕は猫だもん。駅長さんも奥さんもお嬢さんも大好きだけど、もうあの家の中だけで暮らすのは嫌だって思った。
マンカストラップはちょっと困ったような顔をして考え込むと、言った。
「……やっぱり今日は帰りなさい。どうしても外で遊びたいなら、おうちの人にも分かってもらえるよ。このまま戻らなかったらきっとみんなすごく悲しむよ。そんな思い、して欲しくないだろ？」
「うん……」
やっぱりだめなのかな。そう思ったら哀しかった。
「そんな顔するなって。今日会えたんだから、もう友達だよ。もしも外へ出してもらえなかったら、今日みたいに無理矢理でも出ておいで。いつでも待ってるから。お前みたいな元気な子を家の中だけにいさせるのは可哀想だって、きっと分かってもらえるよ」
「うん。分かった。僕、もう一度おうちの人に頼んでみる。僕も外で遊びたいもん。みんなと友達になりたいもん」
「そうしなさい。えらいな、スキンブルはいい子だな」
「ほんと？ いい子？」
「ほんとだよ。きっと遊びにおいで」
「絶対また会えるよね、絶対だよね！」
「ああ、絶対だよ。みんなにお前のこと話すから、みんな会いたがるぞ」
「うん！」家まで送ってもらって、ついでにマンカストラップの家まで教えてもらって、僕は家に帰った。
玄関に奥さんとお嬢さんが立ってて、僕が入っていったらふたりして走ってきた。
「ああ、よかったわスキンブル！ 帰ってきてくれたのね！」
「よかったぁ……もう戻ってきてくれないかと思ったよぅ」
よく見たらお嬢さんは泣いてるみたいだった。僕は戻ってきて良かったって思うのと同時に、やっぱり外へ出してもらえなくなるかもって思った。
「どこへ行ってたの？ 野良猫に苛められたりしなかった？ ほんとに心配したのよ、車にひかれたりしたらどうしようかって……」
苛められたりしてないよ。歩き疲れたけど、お友達もできたんだからね。僕、今日一日でこれまで知らなかったこといっぱい知ったんだから。
「よかったわ戻ってきてくれて……そんなに外へ出たかったの？」
奥さんが言った。
うん。僕、外へ行きたいの。この家は大好きだけど、ここが全部じゃないの。外にはすごく楽しいことがいっぱいあるんだよ。
だから、外へ行かせて。戻ってくるから、閉じこめないで。
人間には僕たちの言葉は分からないんだよね、でも、奥さんは僕の気持ちを分かってくれた。
「そうだな。猫はあちこち歩き回りたがるものだろう？外へ出してやらないとストレスもたまるだろうし」
「そうね……ずっと家の中っていうのも可哀想よね」
こうして僕は外へ出られることになった。
思い切って飛び出して良かったって思ったよ。
＜続く＞
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