３．沈黙がジャンクヤードを支配した。ただしそれは、「ナイフで切って落とせそうな」というよりは「針でつついたら割れそうな」などという形容が似合いそうな類の沈黙だった。
誰もが黙っていた。口を開けば眼前の不条理を認めることになると、誰もが理解していた。その理性ゆえに、誰も口をきくことが出来なかったのだ。静かなパニックは永遠にこの小さな空間を支配するかと思われた。
そして、正しい理性の活動によっては決して成し遂げられないことをやってのけたのは、アルコールによって大脳新皮質が麻痺している者、つまり酔っぱらいであった。「………あれ？」
ミストフェリーズは首を愛らしく傾げて言った。
「ミスト……………これはどーいうことだ………？」
「おっかしいなあ……おっきくする魔法は列車の方だけにかけたつもりだったんだけど……」
「じゃあこれは何だ？！ なんでスキンブルが大きくなってるんだ？！」
「どこで失敗したんだろ？」
「そんな呑気な……」
「大丈夫だよぅ。本来の大きさじゃないんだから、ほっといたらそのうちちゃんと戻るって」
「そういう問題じゃない。断じてない」「…………………………………………………マンカスが小さい……………………………………………」
スキンブルシャンクスが呆然と呟いた。その声は、えらく上の方から聞こえた。
「なんかみんながちっちゃくなっちゃってるぅ……」
「スキンブル落ちつけ。みんなが小さくなってるんじゃなくて、………お前が……………大きくなってるんだ……」
スキンブルは巨大化していた。
小さめでよく動く、敏捷な体つきのはずの少年猫は、体長１メートル以上の巨大な生物と化していた。サイズといい、茶トラの模様といい、ぱっと見は虎である。もっとも、虎にしては丸っこくふわふわして可愛らしい上に、大きな目の色が緑色だが。
「………………………………………………………なんで？」
首を傾げると結構可愛かった。
「ミスト…………さっさと戻せ……」
マンカストラップは脳味噌が痺れるような感覚を味わいつつ、とりあえずミストに命令した。
「…………あれー？」
「あれーじゃないだろう！！ どうするんだ！！」
「さっきから戻そうとしてるんだけどー……おかしいなあ。イレギュラーにやっちゃったから、うまく力が働かないみたい」
「…………そこはかとなく説得力のない理屈だな…」
「おいおいどーすんだよ。こんなでかくなったら列車に入れねーぞ？」
「………………………………はぅ。」
タガーの一言に、スキンブルはぱてっと倒れ伏した。
「列車に入れない」というのがショックだったらしい。あくまでも仕事熱心な労働者である。
「あああああっ！！ スキンブル！！」
マンカストラップは慌てて駆け寄った。ただし、大きさが違いすぎて抱き起こす等の行動は無理である。
「しっかりしろ！！ ミスト、お前はちゃんと元に戻せ！！」
「さっきからやってるよ〜。でも戻らないんだもん」
「もんって、あのなあ……」
「列車が………僕の列車が……」
「…おい、うなされてっぞこいつ」
巨大化したスキンブルの顔程もないタガーが呟く。
「さすがだね。こんな非常識な状況でも仕事を忘れないなんて……尊敬しちゃうな僕」
「こんな非常識な状況の原因はお前だミスト。スキンブルを尊敬する前に元に戻せ」
「だから、戻ってくれないんだよ〜。あ、タガー、そこどいといてくれないとまた流れ魔法がかかっちゃうかもだから気を付けてね。マンカスも」
「流れ魔法って何だよ？」
「だから、スキンブルを小さくするための魔法がタガーにかかっちゃうかもって…」
「…待て！！ どくから待て！ 今魔法を使うな更に話がややこしくなる！！」
「それにしても大きいねえ。でも、大きくてもスキンブルで可愛いのね」
ぱったり倒れ伏したままのスキンブルを眺めて、ジェニエニドッツがしみじみと言った。
最初のパニックが去って、みんな何とか現実を受け入れようとしていた。どれだけやっても戻らないと言ってミストが努力を放棄したからである。
そして、他人の不幸は結構面白がってしまうという習性は、人間も猫も同じであった。まあ、命に関わることもないんだろうし。大きいスキンブル可愛いし。
薄情な連中であった。
「大きいねぇ〜。すごいね〜スキンブル」
「の……登っていいかな」
「登っちゃえ登っちゃえ。スキンブル登り〜」
「ふわふわだよぅ。柔らかくて気持ちいいよ〜」
そして、より順応性があるのは子どもたちであった。と言うより、完全に面白がっている。いつの間にかシラバブまで目を覚まして一緒に遊んでいる。気絶しているスキンブルは完全におもちゃにされていた。
「きゃ〜。高いよぅ〜」
「おお〜。すげぇいい眺め」
「いっぱい乗れるよ〜。ねえ、シラバブもジェリロも登っておいでよ」
「行く行く。おもしろーい」
「バブもいくの〜！」
仔猫たちは先を争ってスキンブル登りを始めた。危うしスキンブル。呑気に気絶していていいのか。
「ちょっと待てお前たち……その、登るとかそういうのは…」
「マンカスお兄ちゃんもおいでよー。高いよー面白いよー」
猫は、高いところ好きですからね。……って、そういう問題でもないような。
「おし。俺も登ろう」
「待てぃタガー！！ お前まで馬鹿な真似をするんじゃない！！」
ただの猫以上に高いところが好きな奴が約一名。何とかと猫は高いところが好きと言うが、その両方を兼ねている者としては当然であろう。「何とか」が何か分からない良い子は、お家の人に尋ねてみましょう。
「マンカスお兄ちゃんも登っておいでよー」
いつの間にかスキンブル登頂を果たしていたシラバブが、無邪気な声を上げる。
「こらシラバブ……」
「僕も登るー。面白そうｖ スキンブル柔らかそうで良いねーｖ」
「待てミスト！！ お前はいつまで酔っぱらってるんだ、さっさと戻す努力をしろ！！」
「ふにゃ〜ん。だってだって、もどんないんだも〜ん」
「あのなあ…」
「どうやったって戻らないんだから、無理しないでこの状況を楽しんだ方が良いよね♪」
「開き直るなぁ！！！」
「うにゃん」
「赤ん坊のふりしてごまかしてもダメ！！」
「だめ……？ スキンブル登ったらダメ？」
「かわゆく首を傾げてもダメ」
「みゅう……」
かわいこぶりっ子作戦、玉砕。
「ミストおにいちゃ〜ん、登っておいでよ〜」
「シラバブ、こいつは呼ぶな！」
実際、現実をちゃんと把握してない幼児というものは恐いですね。何やらかすか分かりませんし。
「スキンブルお兄ちゃん、大きい〜。面白いの〜」
「高いねーすごいねー面白いねー」
「なあ、この辺くすぐってみようぜ」
暴走を始める子どもたちであった。
「やめなさいお前たちは…」４．
「うっうっ………しくしくしく……」
「スキンブル…気持ちはものすごくよく分かるけど、そのサイズでしくしく泣くな。何故か笑える」
「みんなが薄情だよぅ………マンカスまで冷たいよぅ………」
「……こういう異常な事態において、とりあえず『面白がる』という形で受け入れようとするのは適応のひとつのパターンだが…」
「マンカスが何言ってるのか分かんないよぅ………」
そう。
一時のパニックが去って現実を受け入れた猫たちは、既に完全に落ち着いていた。子どもたちは大喜びで遊んでいるし、おとな達も大事はないと判断して宴会に戻っている。
「まあとりあえず、泣くなって。ミストもそのうち戻るだろうって言ってるし、きっと大丈夫だから。スキンブルはいつも前向きが信条だろう？」
「そのうち戻ったって駄目だもん。夜行列車の秩序は僕が守ってるんだよ！！ 今日こそは貨物車の大ネズミ、退治するつもりだったのに！！」
「……そーいう理由で泣いてたのか？ しみじみと立派だな、お前」
「早く戻してよー！！ ああ、もうすぐ見回りの時間が！！」
「て言うか、さっきからお前の上で子どもたちが遊んでるんだけど……それはどうでも良いのか？」
「ミストの馬鹿ー！！」
「にゃうー。恐いけど恐くない……」
「ミストお前な……でもまあ、でっかいけど顔がスキンブルだからな…」
「しくしくしくしく！！」
泣き濡れるスキンブルであった。
「お仕事が…僕の列車が……」
「あくまでそれなんだね……スキンブルって偉いね……」
「感心してる場合じゃないだろミスト…」
「ね、僕も登ったら駄目？」
「……ミストお前、反省してるか？」
「だって、スキンブルふわふわで面白そうであったかそうなんだもん。みんな登ってるんだから良いじゃない〜」
「…………ミスト。聞きたいんだけどお前、どれだけ飲んだんだ？」
「にゃ？ えーっと……あそこの辺に並んでるビン、僕が飲んだ分」
ジャンクヤードの片隅、ミストフェリーズお気に入りの土管の回りに、ざっと１０本ほどの酒瓶が転がっていた。ブランデー、スコッチ、ワインにビール、果ては日本酒までちゃんぽんである。誰が持ってきたのだろう。
「お前……実は結構飲めるんだな…」
「おいしかったよー。スコッチも良いけど、とくにあの『オニコロシ』とかってニホンのお酒。『オニコロシ』ってデーモンキラーって意味なんだって？ なんでそんな恐い名前つけるのかな、でもおいしいよーマンカスも飲む？」
「いらん。……二度と飲むなよ」
「にゃ？！ なんでっ？」
「今の事態を招いておいて何故と訊くかッ？！」
「だってぇ」
「だってじゃないっ！！」
「僕も飲むッ！！」
背中の上で子どもたちに遊ばれたまましくしくと泣き濡れていたスキンブルがいきなり叫んだ。
「す、スキンブル……」
「僕も飲むもん。考えてみたら僕、スコッチ入り紅茶今夜はまだ一杯しか飲んでないんだからね！！」
「いやあの……その状態で飲むのはまずくないか？」
「飲むもん！！ こーなったら飲んでやるーっ！！」
「駄目だよ！！ こんなおっきいスキンブルが飲んだら、分け前減っちゃうじゃない！！」
「あーもう、なんでも良いからお前は黙れ！！」
「こっちのスコッチは僕のだからね！ スキンブルあげないからね！」
「ミスト、お前ほんとに完全に酔っぱらってるな…」
「飲んでやるー！！ ビールでもワインでもスコッチでもニホンシュでも持ってこーい！！」
スキンブルが勢いよく起き上がったので、背中の上の子どもたちが「きゃ〜」とかいう悲鳴と共にころころ転がり落ちた。だが、彼は気にせず、手近な酒瓶を両手にひっつかんだ。
「１１番スキンブルシャンクス！！ イッキ、行きますっ！！」
「おお〜っ！！ 出ました、デカスキンブルのイッキ！！ 何とビンごと直接ラッパ飲みだあっ！ しかも二本同時！ これはすごい、ジャンクヤード始まって以来の快挙です！！」
すかさず煽るラム・タム・タガー。
「すごい迫力だわ！！」
「よし行けーっ！」
「スキンブルお兄ちゃんがんばってー！！」
「やめんか〜！！」
マンカストラップの、多分この夜で一番悲痛な叫びが、ジャンクヤードに空しく響いた。
……どうでもいいが、毎年春にニュースになる若者達ならぬバカ者達と言うべき愚かな学生どもの如き慣習が、英国にも存在するのであろうか。無いと信じたいところだが、あったらヤだなあ。
「行きますっ！！」
両手に持った酒瓶（右手にワイン、左手に日本酒）を同時にラッパ飲みする。周囲の猫たちは無責任な歓声を上げた。
「イッキ、イッキ、イッキ！！」
「ぷはぁ！」
あっと言う間に二本のビンは空っぽになって地面に投げ出された。
「すっげー！！」
「やっぱり大きいとああいうことが出来るのね！！」
「僕もイッキするー」
「ミスト、お前はやめろ」
相変わらず酔っぱらったまま暴走を続けるミストフェリーズは、とりあえずマンカストラップに猫パンチを喰らって取り押さえられた。
「きゅう」
「もう一回行きますっ！！」
スキンブルはそう叫ぶと、再びその辺の酒瓶を拾い上げる。今度のはナポレオンとウオッカであった。無茶苦茶だ。
「待てスキンブル、やめろ！！ て言うか、誰だウオッカなんか持ち込んだのは！！」
「イッキ、イッキ、イッキ！！」
「煽るなっつーとろーがお前たちは！！ いい加減にしろー！！！」
「くはぁ〜」
再び酒瓶は地面に投げ出された。マンカストラップは頭を抱えた。やはり、酔っぱらいに勝てる素面は存在しない。
「もういっちょ……」
スキンブルはさらに暴走しようとした。
すかさずまだ空けられていない酒瓶を掻き集めて捧げに行く馬鹿も約一名。
ところが、マンカストラップが馬鹿の後頭部に蹴りを入れようとしたその時、異変が起こった。
「イッキ……え？ あれ？」
スキンブルの身体が、霧に包まれていた。いくら霧とスモッグで名高い町とは言え、ここまで局地的に霧が発生することはまず無いだろう。
「え、え、何これ？ 真っ白だよー？」
戸惑うスキンブルの姿は、見る見る濃くなる霧に隠された。声もすぐに聞こえなくなる。誰もがどうすることもできずに見守る中、数秒も経つと謎の霧はそもそも存在しなかったかのように跡形もなく消え去った。
スキンブルが抱えていたはずの酒瓶だけを残して。
＜続く＞
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