夜の天使たち
１．プロローグ
とある夜、とある都会の街角で。停車中の長距離トラックの荷台から、小さな黒いかたまりが転がり落ちた。それはしばらくじっとしていたが、小さく震えながらそっと立ち上がり、闇の中を歩き始めた。
月の光以外の誰ひとり気付かず、誰ひとり気にかけなかったその出来事が、始まりと言えば始まりと言えるだろう。
２．黒猫
「ね、なんか天気危なそうじゃない？」
「あー、これは降るなあ。俺、今日は帰るわ」
「あたしも帰る。またね」
「じゃあねー」
都会の片隅の夕暮れ時。
ゴミ捨て場で、猫たちがそんな会話を交わしていた。
空気に水の匂いが混じっている。空が重苦しい灰色に変わり、確かに今にも雨が落ちてきそうだ。「オレも帰ろっと」
ラム・タム・タガーはそう呟いて立ち上がった。やたらと猫可愛がりをされるからはっきり言って家には帰りたくないのだが、濡れるよりマシだ。
「んー？ なんだ、アレ」
彼は積み上げられたゴミの山を見上げて首を傾げた。なにやら妙なものが見える。
山の上の方に置かれた、壊れてふたの取れた電子レンジの中から、黒いひものようなものがちょろんとはみ出して垂れている。
「何かいるのか？」
好奇心旺盛な少年猫は、自らの欲求にわずかも抗うことなくゴミの山を駆け登った。
変わった姿の猫である。体は黒く短毛なのに、頭と首の周りと足の先の方に金色の長い毛が生えている。しっぽは黒と金が入り交じったさらに妙な色合いだ。どういう血が混じっているのかちょっと見当もつかない。なかなか華のある顔立ちで、派手なトゲのついた首輪が似合っていて、女性にもてそうな少年である。素早い身のこなしで目的の場所に到着したラム・タム・タガーは、電子レンジをのぞき込んで少しだけ目を見張った。
黒いひもに見えたものは、小さな黒い毛玉につながっていた。つまり猫のしっぽである。生後３ヶ月ほどの全身真っ黒な仔猫が、電子レンジの中でうずくまって眠っていた。
「おやー……迷子かぁ？」
取り敢えず手を伸ばして、そっと黒い体に触れてみる。
「おーい。起きろー」
軽く揺さぶってみる。その途端、仔猫は突然大きく目を開けてびくりと身を震わせた。金色の大きな目を見開き、目の前のライオン猫を見つめる。
「ひ……ッ」
のどの奥が引きつったような音を立てると、仔猫はそのまま電子レンジの奥に跳びすさって身を縮めた。震えている。
「おいおい…」
流石の彼もいきなりの分かり易すぎる拒絶反応に少々傷ついてしまった。
「なにもいきなりそこまで怯えなくても良いだろ。別にとって喰おうって訳じゃないんだから」
そう言ってみたが、反応はなかった。黒猫はこちらの言葉が聞こえてもいないように、うずくまったままだった。「何なんだよおい……」
「タガー？ 何してるんだ？」
途方に暮れかけたとき、下の方から聞き覚えのある声がした。
「あ、マンカスか？」
「何してるんだお前。そんなとこで」
銀地に黒い縞模様の少年猫が山を登ってくる。
マンカストラップ。タガーとほぼ同じ年頃で、彼と違って真面目で実にしっかり者で非常に人望厚い未来のリーダー最有力候補で、さらに何より腹立たしいことには正統派の美形である。
「いや、なんか迷子らしいのがいるんだけど……な」
大して歳も変わらないくせに何かと説教の多いマンカストラップをタガーは少々煙たく思っていたが、このときばかりは天の助けだった。彼はこの若さで「子守の達人」と呼ばれているのである。
「迷子？」
「ここ。この箱の中。声かけたらびびって逃げられてよ」
マンカストラップは電子レンジをのぞき込んだ。奥で震える仔猫を見、そっと声をかける。
「こんにちは」
「…………」
仔猫は顔を上げた。なんだか派手なライオン猫ではなく、穏やかな目をした銀トラ猫に、少しは緊張を解いたらしい。
「俺はマンカストラップ。この派手なのはラム・タム・タガー。お前の名前は？」
「……」
答えはない。
「このあたりじゃ見かけない顔だけど、どこから来たんだ？ 迷子になったのか？ それとも親とはぐれたのか？」
「…………」
相変わらず答えなかったが、仔猫はほんの少しだけ首を横に振った。
「じゃあ、どうしてこんなところにいるんだ？ 家はどこ？」
「……………」
再び、首を振る。
タガーが呆れたように言った。
「何なんだよお前。言えないのか？」
「子どもを脅かすな馬鹿。怖がってるだろうが。そうでなくてもお前は見た目が変なのに」
「あんだとこら。変とは何だよ変とは！」
「変だろうが。その辺の猫１００匹に聞いてみろ。お前のその恰好は変だ」
きっぱり言い捨てるとマンカストラップは再び仔猫に向き直った。横でタガーが激しく抗議しているが、無視する。
迷子でも親とはぐれたのでもないとすれば、おそらく捨て猫だろう。
「家はないのか？」
確認のために訊くと、黒猫は初めておずおずと頷いた。
「そうか……」
マンカストラップはそう呟くと優しく笑って頷いた。
「だったら、おいで。うちに来ればご飯食べさせてもらえるし、寝るところもあるから」
「………！」
仔猫はすごい勢いで首を横に振った。
「どうして？ 別に恐くないよ。うちの＜教授＞は良い人間だし」
＜教授＞というのはマンカストラップの飼い主である。
「どうしても嫌だったらしょうがないけど、ここで寝るのは止めといた方が良いぞ。今日はこれから雨が降るから、ここにいたらびしょ濡れだぞ。この箱の中、雨が入るんだ。……大丈夫。ひとりなんだろ？ うちの飼い主は猫一匹増えるくらい全然気にしないから。…お腹空いてるだろ？ おいで」
手を差し延べる。
仔猫は目を見張った。金色の瞳から怯えの色がわずかに薄れ、代わりに戸惑いの色が浮かぶ。
「怖がらなくても大丈夫だよ。行こう。な？」
もう一度言うと、黒猫はほんの少しだけ首を縦に振った。マンカストラップは優しく微笑んでその頭を撫でた。タガーが呟く。
「さすがだ子守名人。お前ってほんとに子ども受け良いよな」
「馬鹿。……さ、おいで。うちはすぐそこだから」
マンカストラップが黒猫を促して山を下り始める。仔猫は躊躇いながらもついて来た。ラム・タム・タガーもついて来た。
「……何だお前は」
「俺もご飯食べさせて」
「な・ん・で？！ お前は自分ちに帰ればいいだろうが！」
「良いじゃん。うちに帰ったらべたべた構われて鬱陶しいんだよ」
「勝手なことを…大体、だからって何でうちに来るんだ」
「お前んちって気楽に出入り出来ていいんだよー。いいだろ別に」
「良いわけがあるか。飼い猫のくせに三日に一度は来やがって。飼い主のひとも心配してるだろうに」
「いーじゃんよー。けちなこと言うなよー」
「お前が厚かましいんだ！」
仲が良いのか悪いのかよく分からない会話に、仔猫は戸惑ったように首を傾げてふたりの顔を交互に見ていた。マンカストラップはそれに気付くと、優しく説明した。
「気にしなくて良いからな。こいつは図々しくて厚かましくてわがままで自分勝手でひねくれ者でひとに迷惑かけることが趣味っていうろくでもない奴だけど、これでも一応いいとこもあるんだ多分。誰にでもひとつくらい良いところが探せばきっとあると言うしな。俺はそう信じている」
「……………」
「お前それは俺に喧嘩売ってるんだな？ そうだな？」
「なんてひねくれたことを……精一杯褒めてるじゃないか」
「どこがだ！ 思いっきり言いたいこと言ってるだろうが！」
「おお。言いたいことというのは分かってくれていたのか。嬉しいぞ」
「おおおおおお前だけはいつか滅ぼす」
「無理だ」
「………きっっぱり言いやがったなあ…」
「事実だからな。言わせてもらうが、お前と喧嘩して負けたこと無いぞおれは」
「うううううう」
マンカストラップの勝ちであった。＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
このひとたちはだれだろう。どうして僕に声をかけてきたんだろう？
お腹が空いてるのは確かだ。昨日の夜から何も食べていない。でも・・・・
やっぱり・・・・・行かないほうが良いのかもしれない。二度とあんな・・・
僕は。僕は・・・じゃない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
＜続く＞
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