２．KIARA
わたしはぽかんとしてコブの顔を見つめた。
……何だかものすごいことを言われたような気がする。彼はちょっと照れたように一瞬目を反らしてから、もう一度わたしの顔を真っ直ぐに見て続けた。
「子どものとき、君に出会っていたから、俺はプライドランドのライオンたちを心から憎まずにすんだ。あのときだってそうだ。君が来てくれなかったら…俺ひとりではプライドランドへ戻っては来れなかった。
俺は多分…いや、間違いなくスカーと同じ道を歩んでいたと思う。シンバを憎んで、プライドランドを憎んで、きっとまた昔と同じことの繰り返しになっていたんだ…」
「そんな」
「そうだよ。君のおかげで俺は救われたんだ。それに、君が言ったんだ。帰らなきゃいけないって…俺は逃げることしか考えていなかったのに。俺たちが戻れば争いを止められるなんて、思いつきもしなかったのに」
「わたし……そんなこと考えてなかったわよ。あのままじゃいやだっただけだもの…」
あまりにも真剣なその目に、思わずそう言ってしまった。彼がそんなに深く考えていたなんて知らなかったから、結構ショックだったのかもしれない。わたしは自分がしたいようにしただけなのに。
ふたりだけで逃げてもいいと思ってたわ。家を抜け出したときはそのつもりだった。何を言っても分かってくれない父さんなんか、見捨てようと思ったもの。
それじゃ駄目だと思ったのは、彼を見つけてから。
追放されたなんて記憶を引きずっていてはきっと幸せにはなれないと思ったそのとき、気付いたのよ。すごく簡単なことに。わたしたちはプライドランドとアウトランドに別れて育った。だけどわたしたちは憎み合ってはいない、愛し合ってるのよ。だったら他のひとたちだって同じはずだって。
みんな一緒に幸せになれるって。彼は黙ってわたしを見ていた。
コブの瞳はスカーと同じ色をしていると父さんが言っていた。だから父さんは彼を警戒していたのかとも思った。
確かにとても珍しい色だ。深い緑色の瞳をしたライオンなんて、他に見たことがない。
かつて自分の兄を、わたしのお祖父さんを殺して王位を奪った男と同じ……忌まわしい色だというひとがいたのも知っている。でもわたしは、その色をとても綺麗だと思った。
そう、すごく綺麗な色よ。一番草が深く茂っている季節の草原の色。こんな美しい色の瞳がどうして忌まわしいの。
「わたしはただ、あのままあなたがいなくなるなんて我慢できなかったから飛び出しただけだもの。わたしだって、わたしだって同じだもの」
「え…？」
「わたしだって、あなたがいなかったらあんなこと考えもしなかったわ。争いをやめさせようなんて、やめさせられるなんて思わなかった。これまでと同じことの繰り返し、どちらかが滅びるまで永遠に争いが続くことになっていたわ。そうならなかったのは、あなたがいたからよ」
「…………」
「父さんにあなたのことちゃんと分かって欲しいって思ったの。そうでなかったら、アウトランドのライオン達を仲間だなんて思えなかったわ。あなたがスカーと同じなら、わたしはやっぱり父さんと同じだもの。あなたと出会えなかったら…わたしだって何も変えられなかったはずよ」
わたしだって、ひとりじゃ何も出来なかった。流れを変える力をくれたのはコブ。ふたりでいたから出来たことなの。本当によかったと思う。いろいろ哀しい思いもしたけれど、コブと出会えてよかった。「……それでも…それが出来たのは君の強さだよ。君がいたから争いを終わらせることが出来た。みんなを救ったのはやっぱり君だ。君は俺だけじゃない、シンバの心も救ったんだ。スカーもムファサも、君に救われたんだよ」
「……ありがとう」
参った。もう、これ以外に言う言葉なんて思いつかない。
「俺は大丈夫だよ。シンバがどう思おうと、もうスカーには負けないから。君がいる限り、負けないから」
「わたしも負けないわよ。過去のことなんか蹴飛ばしてやるんだから」
ティモンとプンバァが言ってたもんね。
起こってしまったことは変えられない、だったらクヨクヨしても無駄だって。引きずったって誰も幸せになれないような過去なんか、蹴飛ばしてやればいいって。
わたしたちは未来を選んだのだから。………なのでわたしは、うんとものすごいことを言ってみる気になった。
「ねえ、コブ？」
「ん？」
「わたしたち幸せにならないとね」
どんな反応をされるかちょっと楽しみだったんだけど、彼は一瞬驚いたような顔をした後微笑んで、ゆっくり頷いた。
「……うん」
「ほんとよ。これは義務だからね、わたしたちの」
「分かってるよ」
かなしい想いに勝てないままに逝ってしまったひとたちの分、ちゃんと幸せになること。それが、過去よりも未来を選んだ者の義務。
「結構大変よ？ 代わりに幸せにならなきゃいけないひと、いっぱいいるもの。しっかりがんばらないと」
「ああ……」
コブはもう一度頷いて空を見上げた。緑の瞳が太陽の光を受けてきらめいた。
「確かに大勢いるなあ。少なくともムファサと、スカーと、……ジラと、ヌカと…他にも」
最初はスカーだったのだろう。
彼が何故ムファサを憎んだのかなんて知らないけれど、その闇はムファサを殺し、父さんを傷つけ、彼自身をも呑み込んでプライドランドに影を落とし続けた。
そしてコブは、ずっと長い間身近にその闇を感じていたはず。スカーは彼の一部でもあるから…
闇は晴れたのだろうか。争いは終わっても、哀しい想いは消えてはいないはずだ。スカーの闇は父さんの心にも闇を植え付けた。父親を殺された哀しみを、父さんは、今でも忘れられないでいるのだから。
それでも、
「絶対みんなの分幸せになるんだから、覚悟しといてよ？」
「してるよ。でも、大丈夫じゃないかな」
「大丈夫？ どうして」
「少なくとも、俺は大丈夫だよ。もうスカーには負けないけど、俺は彼を憎んだりしない。スカーは俺の一部だよ。ちゃんと受け入れるって、決めたから。でも…彼がどんな思いでいたのかはもう誰にも分からないけど、これ以上他の者を巻き込まなくてもいいだろう？ 憎しみの環はここで俺達がきっぱり断ち切るんだ。出来るよ、君がいるから」
「……本当？」
「俺は君がいれば幸せになれる自信があるよ。スカーが星から見守ってくれているかどうかは分からないけど、もしそうなら見せつけてやれるくらい幸せになってみせる。俺はこれだけ幸せになったぞって……だからもう、悲しむのも憎むのもやめてくれって」
そう言って彼は笑った。とても優しい笑顔だった。ああ、わたしはこのひとが好きだ。この世で一番好きだ。言葉で言い表すことさえ無意味なくらいに。だからわたしは、行動で示すことにした。
「わ、キアラいきなり何するんだよ？！」
いきなり抱きつかれたコブがうろたえた声を上げたけど、しばらくは放してあげない。
「……わたしもそうよ。あなたがいれば絶対大丈夫…」
そうよ、わたしは今幸せだもの。これからだって幸せだもの。
「キアラ…？」
「幸せだなって思ったのよ。誰にも真似出来ないくらい、幸せ…きっと今、世界一幸せなのはわたし」
いいひと捕まえたなって感じよね。誰にも譲らないわよ、こんな幸せは。ついでに、誰にも邪魔なんかさせないわ。ましてや、死んだひとなんかに負けるもんですか。
「わたし、コブが好きよ。この世で一番好き。あなたの中に誰がいたって、わたしはスカーにもムファサにも負けないわよ…」
去って行ったひとたちはわたしたちの中に生きている。でも、わたしはわたしだしコブはコブよ。
「うん。君なら勝てるよね」
コブが言う。
「俺はそんなこと、言えなかった。君がいなかったら言えなかった……」
「違うわよ。わたしだってあなたがいなかったら勝てないもの。わたしたち、ふたりで勝つのよ」
ふたりなら何にでも勝てるから。
そう、あなたの傍がわたしのユペンディ。心の中の大切な場所。だからもう、言葉は要らない。
＜了＞
≪あとがき≫
どぇーっ！ こっぱずかしーッ！！ 何書いてんやーっ！！！
……以上端的な心の叫びでした。
はあ。書いちまったよ死ぬほど恥ずかしいラブラブ話を…。
キアラ＆コブ、ライオンキングIIの若きカップル。ＬＫIIとは、色々と過去を背負わされた若いふたりが全ての障害を愛の力で踏み倒して（「踏み越えて」とはちょっと違う）幸せになる話です。ライオン版ロミオとジュリエットハッピーエンド編。
実際、作品中でも大概ベタベタしてるふたりなので、これくらいの恥ずかしい会話を交わしていても不思議はないと思うのですが、本人達はいいけど私が恥ずかしいわい。マジで何考えてたんだ自分。ラブストーリーって嫌いなんですがね。本来は。いずれにしろ、背景を知りたい方は今すぐビデオ屋にGOだ。
最初の頃傍で喋っていたはずのティモンとプンバァがいつの間にか消えています。
さてここで問題彼らはいつ消えたでしょう。答え。「１」の真ん中へんからです。
あまりのアツさに耐えかねて逃げたに違いない。おそらく、周辺の半径５メートル以内の動物は全て避難していることでしょうが、キアラとコブはお互いしか見えてないから気付いてません。若いって良いですね。ええかげんにせぇよお前ら。
以上。勝手に幸せになりやがれ、なお話でした。……それにしても、ああ、恥ずかしい。
＜おまけ：ちょっとした会話＞
シンバ「む〜………ぐぐぐ………」
ビタニ「ダメよシンバ。いくら何でも今出て行ったらあなた野暮を通り越して犯罪だわ」
ティモン「せやせやそっちの嬢ちゃんのゆう通りや。若いモンが盛り上がっとんのを邪魔したったらあかんでぇ」
プンバァ「うんうん。幸せそうでええねぇ…。キアラ嬢ちゃんも大きぃなって…」
ビタニ「それにしてもコブってばいつの間にあんな歯の浮くような台詞憶えたのかしら。くそ真面目の朴念仁だとばっかり思ってたのに、変われば変わるわねー」
シンバ「分かった……分かったからプンバァ、どいてくれ……つぶれる…（泣）」
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